4月22日午前10時に訓練地震発生を防災無線で石垣島全島に発信。広報車が街頭で放送を発信しながら走り始め、防災情報一斉メールが配信されて、住民への情報が伝達されていた。
直後から自主防災会・公民館が活動を開始し、その後、訓練の大津波警報が発令されるといよいよ本格的な避難がはじまり、道路に歩いて避難所へ向かう人が現れだした。5分後に石垣市災害対策本部が石垣市総合体育館会議室に設置され、住民避難指示が発令されるとともに、自衛隊派遣要請が衛星電話を使っておこなわれ、 住民による35カ所の避難場所への移動が開始された。
平真小学校では、全校生徒が中央運動公園の屋内練習場へ頭をかばいながら避難して、会場内で整列していた。また児童らは火災時の煙の体験や、海保の活動パネルの見学などして、防災について学んでいた。
また海に近い八島小学校の全校生徒は、10時の防災無線の声に反応。一斉に一時避難所へ向けバイパスを渡って平真団地や所定のビルに走り込み、そのあと運動公園まで歩いて避難。八島小学校の場合、海に近いせいもあり、ライフジャケットを着用しての素早い避難で、緊迫感が感じられる避難となっていた。
石垣市災害対策本部では、各地のからの情報収集がおこなわれ、避難状況、被害状況が逐一連絡され、同対策本部のスクリーンには、各地の避難者の情報が伝達され、その数が表記されていった。
また、航空自衛隊、陸上自衛隊第15旅団が竹富町や石垣市の要請を受けて竹冨島へ避難者の搬送、伊原間地区での炊き出しのための搬送などを実施。
総合体育館メインアリーナ内では、避難者のプライバシーを守るパーテーション器具が組み立てられて、避難者自身が家族で組み立てて、実際に中に入ってみたりしていた。
同体育館の横には、避難所の浴場が自衛隊によって設置されるなどして、避難所の設備を実践披露。水の浄化装置がついた車両も用意され、避難所の環境はどうなるかを、実際に見せていた。
午後11時半に、石垣島地方気象台の大津波警報解除の連絡を受け、災害対策本部の中山義隆本部長により、住民避難指示が解除された。
この日の住民避難数は、6175名に登った。なお、竹富町もこの日防災訓練を実施しており、西表島大原と上原、波照間島、竹冨島が参加している。
23日には、新川小学校が避難訓練を実施するほか、24日にも避難ビルを中心に防災訓練が実施される予定。