故高橋洋介氏の雪プレゼント

撮影・編集 流杉一行

絆の主との約束の雪、舞う  2011年8月9日、高橋洋介氏、没す。癌による。4月に癌と判明も、元岩手県副知事の肩書きもあり、かけはし交流会長でもあり、折からの震災関係からも忙しさに入院機会を延期。癌発覚から2ヵ月後にようやく入院も、その2ヵ月後に帰らぬ人となる。往年69歳。氏が昨年新川小学校校長の石垣安志氏と約束した雪のプレゼントを、高橋氏亡き後、妻のひろ江氏が引き継いで、1月20日、雪のプレゼントが新川小学校でおこなわれ、子どもたちの割れんばかりの歓声が校庭にこだまし、絆の主との約束を遂げた。  高橋洋介氏は、1993年におこった国内史上空前の大冷害で、米の作況指数発表と同時に、当時岩手県農林水産部長として石垣島での種籾の増殖計画を決定。沖縄県に打診。快諾を得た後、菅原技師を派遣して、石垣島での増殖をスタート。当時の石垣島の米は千代錦が主流。石垣島の多くの農家は1994年からこの経験のない一類米の1月の田植えを経験。かくして5月に稲刈りし、増殖に成功。このときの米の名前は岩手34号と36号。後に34号は「かけはし」、36号が「夢さんさ」と名づけられる。 この2種は、長年岩手のブランド米を開発しようと取り組まれてきた新しい品種。ようやく日の目を見るべく、地域に広めようと増殖中に1993年の冷害に遭遇。しかし、岩手で生産された「こしひかり」などの品種は、ほとんど実らなかったのに、この34号は60%以上が実り、奇跡的な強さを示した。そのことが、東北の人の心をつかみ、この朗報は県内をかけめぐった。そこで出された決断であった。こしひかりのような美味を求めるよりも、北の米として、寒さに強い米を生む。そういう取り組みで、実証された岩手34号「かけはし」は、感動的な品種だった。石垣島の農家は、北の農家を支援するとして、田んぼを岩手34号の増殖に提供。こんなときこそ、恩返しをと、取り組んだ。(石垣島では米の自給はできず、他県の米の購入ができなければ、島民の食料はまかなえない。)かくして、生まれた岩手県との絆。これが、増殖の後も、市民相互で交流を実施。岩手第4高校と八重山高校や、石垣島マラソン、石垣島まつりなどのイベントを通じて、長年、親交を温めてきた。今年も、石垣島マラソン前々日に岩手の選手団や観光団を空港に迎えて、歓迎会を開催している。この北との絆を生んだあの決断の主が、今はもういない。また、単身石垣島に技術者として孤軍奮闘した菅原氏も鬼籍に入っている。地球の気象変動が激しい昨今。34号という寒さに強い米を増やそうと石垣島に技術者菅原氏を派遣して、増殖に成功した高橋氏の功績。今、太陽の黒点活動に異変が起こり、近く寒冷化の兆しが確認される話がある中、もう一度、岩手34号が注目される好機が訪れようとしている中、氏の逝去は惜しんでも惜しみきれない。

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