「島、まさに島であること!」。それはゆったりとした間合いの、独特な口調の中で、鐘の音のように響いてきた美しく力強い言葉であった。
宮平康弘さんが現社長をつとめる「南の美ら花ホテルミヤヒラ」は、八重山の観光産業の中核を担う、地元資本の施設として、長い歴史を持つ老舗中の老舗。今年で創業53周年になる。前身の「宮平旅館」の創立は、沖縄県がまだ米軍の統治下にあった昭和28年。旧護岸通りに、鉄筋コンクリートブロック造りの2階建てでお目見えした。繁華街・桟橋前という立地のよさ、当時ではめずらしい風呂付きの部屋、八重山らしい料理の提供などで、宮平旅館は大繁盛したという。「宮平旅館」はその後、埋立地である美崎町に移転、「宮平観光ホテル」、「ホテルミヤヒラ」、そして現在の「南の美ら花ホテルミヤヒラ」へと改称。増築、規模の拡大をはかり、わずか16室だった客室数は、今や158室となった。
さて康弘さんが経営に携わるようになったのは復帰の翌年、昭和48年からである。社長に就任して18年目となり、今では八重山を代表する経済人、そして観光産業分野のみならず、八重山に欠くことのできない指導者であり、指揮者となった。
ラウンジの柔らかなソファーに、背の高い身体をあずけるように沈み込ませて、康弘さんは静かに語り続ける。「朝の早い時間は、来客や電話で寸断されないでしょ! 読んだり書いたりするのにもってこいの時間でね。最近は早寝早起きですよ。でもそろそろ若いころの酒のつけが、身体にくるんじゃないかなぁと思ってねぇ…」250名の従業員をかかえる頭の、とてもくつろいだ素の表情に私はホッとした。と、思えば、「商売・会社経営は、明日どうなるかわからない世界だからね。こわいですよ。厳しいですよ!」と今を確実に捉えようとする鋭い眼光を見せた。
書き綴ってこられたエッセイを始め、和歌、小編、提言、旅行記、インタビューや座談会などをまとめた出版物は、これまでに五冊を数える。八重山にささげる想い、たくす願いに、八重山・島への愛の深さ、濃さを熱く感じるものだ。
広い視野、様々な角度・視点から見つめる、その「八重山らしさ」こそ、長い時を生き抜く「島の命」であり、宮平流のおもてなしの心となるのであろう。
(この回は 文:新城音絵)
八重山人の肖像
写真:今村 光男 文:石盛 こずえ
第一回の星美里(現:夏川りみ)さんをはじめとする105名の「ヤイマピトゥ」を紹介。さまざまな分野で活躍する“八重山人”の考え方や生き方を通して“八重山”の姿を見ることができる。