天然繊維のひとつ、シルク。
八重山でも以前盛んだった養蚕業。
今でも蚕を孵化させ、世話をし、絹糸をつくりあげる人がいる。
歯車がいくつも重なる昔ながらの糸車で糸をひく。
八重山でも盛んだった養蚕
石垣島のちょうど中央あたり、開南で養蚕をしている方がいると聞いておじゃますると、囲いの中には緑の葉と数え切れないほどの白い幼虫が。むしゃむしゃと音が聞こえてくる。蚕が桑の葉を食べている音だ。蚕のその数、12000頭(匹ではなく頭で数えるところも驚き)だという。
開南の当銘光子さんは、現在夫婦でパインやサトウキビを育てるかたわら、年に一度蚕を育てている。繭から製糸し、島の草木で染めて織る全工程を行っている。1981年から1987年までは夫婦で養蚕を生業としていたが、糸の輸入で繭の価格が低迷し、家業として成り立たなくなり転向を余儀なくされた。現在は、キビとパインの合間、蚕の生育に適する春先に、畑の作業と平行させながら蚕を育てる。
八重山での養蚕は戦前から行われており、戦後徐々に増え、明石、伊原間、伊野田、星野、開南、於茂登など石垣島東部を中心に養蚕小屋が建ち、盛んに行われていた。桑畑も多く見られ、1979年には養蚕繭出荷施設ができ、養蚕組合もあったという。竹富島でも小屋がいくつもあった。八重山の養蚕業は繭の状態で本土へ出荷するのが主で、製糸までは、趣味程度でやる一部の人だけだったという。そして、1980年代、大量輸入による価格の暴落で島の養蚕農家は一斉にやめていった。今も小屋が残っているところもあるが、ほとんどが廃屋のようになっている。現在八重山で養蚕を行っているのは、当銘さんの他に数人のみで、自ら仕上げた糸で織りまでしているのは当銘さんだけだ。
蚕が卵から糸になるまでは、1ヶ月半ほど。卵から孵り、幼虫となり、繭を巻いて中でさなぎになる、繭ごと煮て糸になるという一生だ。卵は県外から取り寄せている。孵化すると、毎日えさの桑の葉をあげる。脱皮を4回繰り返し、一齢から五齢まで成長する。桑の葉をあげる時期はほぼ付きっ切り。葉をとってきてはあたえ、を繰り返す。脱皮をする前の日は一日中寝ているそうだ。体の大きさは生まれた時の一万倍にもなるという。熟蚕したら繭を吐き出し始める。
蚕はとてもデリケート。農薬や煙が苦手だ。タバコのニコチンをはじめ、蚊とり線香の煙などでも、それに含まれる成分で中毒を起こし、病気になったり死んでしまったりする。そして、タバコ畑の隣で育った桑の葉を食べただけでもダメージを受けてしまうという。除草剤や殺虫剤もだめ。アリやネズミも大敵で、囲いのまわりにはアリ除けのために石灰をまいている。
繭をつくる場所、まぶしと呼ばれる道具が上から吊るされている。繭の大きさに合わせた四角のマスがかたどられたまぶしに、熟蚕した蚕から1区画に1頭ずつ入れられ、繭の形ができてきていた。中にいる蚕が透けて見えるものもある。蚕は2日以上糸を吐き続け、その長さは900~1,500mにもなるという。
繭ができたらひとつひとつ点検。外側のケバを手で取り除き、糸車で糸を引くための準備をする。この作業が果てしないという。でも、今年の繭はつかえない物は少なく、できがいいという。丸い繭になったとしても、汚れがあったりすればつかえないものもある。
糸を引く当日。繭を熱湯に数分つけて、ここで蚕は一生を終える。しっかりお湯を浸透させ、糸を引きやすくする。この時のお湯の温度やおく時間で糸のでき具合が変わってくる。煮たりないと糸が出てこなかったり、煮すぎると途中で切れてしまう。時間を充分おいたものから、保温しながら糸を紡いでいく。現在は炊飯器で保温しているが、以前は石油コンロだった。火を注意する必要もあったし、臭いもきつく、今はだいぶ楽になったという。
全行程手作業の絹糸
26~30粒くらいの繭から出る糸を一度に紡ぎ合糸する。それだけ1本1本の糸が細いという事だ。好みや何をつくるかによって、ここで糸の太さを調節する。座繰りという糸車をひたすら回しながら、もう片方の手では、小さなゴミをとったり、新しく繭を投入したり、目が離せない。1日何時間も回しているので筋肉痛にもなる。
当銘さんは「年に1回の趣味だよ」と笑う。完成させた反物、ストールなどは展示会に出展している。娘さんの成人式には着物を手作りした。当銘さんは1970年代、旦那さんと養蚕を始める前に、竹富島で染織家に師事し、5年ほど染織と養蚕を学んでいた。1983年には日本民藝館展で奨励賞を受賞している。当銘さんの旦那さんは、「生の絹糸のよさを知ってるから、手間がかかってもやりたいんだろうね」と微笑む。
現在、当銘さんと一緒に蚕を育てているのは、森田みゆきさんと上原久美さんと他に1、2人。ここで絹糸をつくる以外は、みなさん個人で染織をしている。上原さんは、息子さんの成人式のために、去年自らつくった糸を藍で染めて着物を織り、羽織りを現在制作中だ。
合糸された糸は、さらに撚りをかけ強度をつける。撚りをかける撚糸機は、当銘さんが1983年からずっとつかっているものだ。カラカラと年季の入った音が響く。養蚕が盛んな県外の地域では、電動のものをつかっているところが多く、残っているのも少ないのではと話す。
精練をして真っ白な生糸ができあがる
5月の晴れたこの日、朝9時前から仕上げの精練作業開始。シンメーナービにお湯を沸かす。藁を燃やした灰に熱湯をかけ、ろ過した藁灰汁を火にかけ糸を精練する。糸についている蚕のたんぱく質を落とすためだ。火を炊いた大きな鍋の上で、お湯にくぐらせたり、繰ったりするのはとても熱く労力のいる作業。仕上がりの糸の硬さによって時間を調整し、2、3時間炊き、干して乾かして、糸のできあがりだ。糸の柔らかい弾力性と光沢が出る。白く、艶がでた糸がお日さまを浴びてキラキラしている。
当銘さんは、自分のできるだけでいいから続けていきたいと話す。一緒にやりたい、教えてほしいという人がいるうちは。島での養蚕業の最盛期を支えていた、技術を持っている方が元気なのは今しかない。その後は自分の代で終わってしまう。これだけ手間のかかる作業だが、「きれいな白い糸ができた時がとても嬉しい」と穏やかな笑顔で話す。