種子取祭に演じられる島狂言

いろんな芸能が行われる八重山の伝統行事。その中でも芸能の島と称される竹富島では、他の地域に比べてたくさんの島狂言が残っている。その竹富島の年間最大行事種子取祭は、毎年旧暦9月10月の庚寅(かのえとら)、辛卯(かのとう)の2日間にわたり様々な島狂言が行われる。今年は11月7,8日にあたる。

まず島狂言というのは、劇のことをいう。島狂言は舞台で演じられ、種子取祭では有名な芸能、ウマヌシャー、ジッチュなどは庭の芸能にあたり、島狂言には含まれない。舞台では舞踊も行われるがこれも島狂言とは違う。島狂言にジィの狂言と呼ばれるものがある。このジィの語源はいろいろあり、儀(ギィ)、例(リィ)、地(ジィ)というような漢字を使ったりするが、テードゥンムニ(竹富島言葉)での発音をカタカナ表記にするとジィが当たり障りないということから、ここでは「ジィの狂言」、また以下の文でもカナでルビを振ったものがあるが、テードゥンムニの発音に近い音をカタカナで表記したものする。

ジィの狂言は神様へ奉納芸能であり、これを抜きには種子取祭は語れないといっても過言ではないくらいに重要な芸能のひとつだ。これらは竹富島の2つの集落、玻座間(ハザマ)と仲筋(ナージ)で別々に演じられ、前者が4演目、後者が3演目行い、そのうちわけとして玻座間では鍛冶工(カザグ)、組頭(フンガシャ)、世持(ユームチ)、世曳き(ユーピキ)、仲筋ではあぶ爺(ルビ・アブジ)(シドゥリャニ)、種蒔種子蒔(タニマイ)、天人(アマンチ)となる。そして玻座間では組踊りとして伏山敵討(フシヤマティチィウチ)、歌劇としてペーグ漫遊記、創作劇のガイジンナー、庚寅の日の最後に歌舞伎の曾我兄弟が演じられる。仲筋では組踊りの父子忠臣(フシチュウシン)、笑(バラ)シ狂言といわれるスルックイ、そして辛卯の最後に演じられる、鬼(ン)狂言とよばれる鬼捕りがある。

島狂言をはじめとする数々の芸能は、玻座間民俗芸能保存会と仲筋民俗芸能保存会によって演じられる。これは竹富支部と石垣支部にわかれ、それぞれ練習を行う。会員は竹富島在住者、出身者、また2世で構成され、現在玻座間民俗芸能保存会には74人の会員がいて、彼らは種子取祭が近づくと会長宅などで練習が始める。最近の活動では行事で演じるだけでなく、県外へ公演も行っている。目的は単に伝統芸能の紹介だけではなく、若い人にもっと自信をつけさせるためでもある。参加者は自費を払って行くことになるが、若い人も多く参加するという。
八重山イベント特集「種子取祭に演じられる島狂言」
玻座間民俗芸能保存会会員の中で若い方の竹田泰信さんは「今まで種子取祭は外からしか見ていなかったけど、いろんな芸能を実際に自分が演じてみたいと思いました。新鮮味がありやっていても楽しいです」と話す。またセカンド倶楽部(仮称)というのも発足した。これは親が竹富島出身で島外で生まれ育った2世の人たちが起ち上げた。「自分たちは竹富島で育ったわけではなく、わからないことがたくさんあります。月例会をもち先輩たちから島の文化や芸能を学ぶものです。今までは年に1回しか集まらなかったけど毎月集まることによって連帯感も生まれると思います。」と話す石垣史昭さん。2世の人たちも芸能の習得に力を入れているようだ。
600年と長い歴史を持つ種子取祭は先人たちから受け継がれてきた。島狂言も狂言と同じく1つ1つ口で直接伝えられてきた。現代では方言を話せる人は少ないが、テードゥンムニ大会をはじめ若い世代が方言に触れる機会を設けている。今回のセカンド倶楽部のように2世代3世代が交流する機会が増えれば、方言の存続にも明るい兆しがみえてくる気がする。「方言の発音など難しいですが、自分のルーツである竹富の方言を学ぶことに意義を感じます。」と竹田さんが言ったように、島狂言が島のことを学ぶきっかけにもなっているようだ。

―種子取祭のジィの狂言の特徴と見どころ―

玻座間村

1.鍛冶工狂言 
沖縄では鉄の原料がなく、島外から鉄の塊を持ってきて農具を製作していた。あらすじとしては鍛冶工主(かざくしゅ)が家来と鍛冶にでかけ、でき上がったものを家来の1人が素手で触って熱いと騒ぎ立てる。「耳をつかんだらいい」と言われ他人の耳をつかみ2人の間で一波乱。その後もう1人が仲介して、鍛冶祝いの用意ができている家へ帰る。
2.組頭 
組(フン)とは村の中の小さな組織で、組頭とはそこの長のこと。組頭がでてきて「鍛冶をして農具が揃ったのでみんなで畑の開墾しよう」と言う。これは鍛冶工の流れを受け継いでいるものと思われる。組頭が自分の家来と若者4人を畑に連れていき、歌い踊りながら農作業をする。その後若者たちは自分が誰よりも一番働いたと自慢しあう。以前は台詞はアドリブでやっていたが、現在は固定化されつつある。
3.世持 
狂言ともいわれ、仲筋でも伝承されている重要なものであり、かつては種子取祭が玻座間と仲筋で別々に行われていたことを示唆するものでもある。世持とは村の長のことで、世持が畑を耕していたら恵の雨が降り村の若者を呼びだして「自分の畑に種子をまいた後、みんなの畑にも蒔こう」と言う。蒔き終わったらみんなで歌いながら家路に着く。
4.世曳き 
これの特徴は那覇の首里言葉を使って演じられるところ。琉球王朝から位を授かった竹富島の豪農大山家のウシュマイが、登場し与人(ユンチュ)と呼ばれる役人と子どもや孫を引き連れて神様に豊作の報告をする。ウシュマイは2人の若者にお供え物を荷車で持ってくるようにと指示をだす。若者たちはゆっくり踊りながら曳きだした荷車を神前に供える。

仲筋村

1.あぶ爺(アブジ)狂言 
シドゥリャニとも言われ、千鳥の群れという意味になる。「浜辺で千鳥が群れるように、我々人間も集まろう」と村人が種子取祭に集まることを表現している。これに出演する人たちは現段階の仲筋の最長老4人で、「種子取祭が始まったので我々も神様にお祈りを捧げようと」仲間の老人3人を誘うもの。
2.天人(アマンチ) 
天人とは琉球王朝の神話に登場する。沖縄本島および、周辺の島々では国を造り、稲作を始めた神としてで崇められている。これは首里言葉が使われ、竹富島で生まれたものではないとされている。内容は天人が作物の種子を村人に与えるためにやってきて、村の長老は種子取の願いをするため村の若者とでかける。そこで2組が偶然出会い、村人が天人から種子を授かり作り方を教わる。その後農作業の舞踊マミドーを演じる。
3.種子蒔(タニマイ) 
これは玻座間で演じられる世持と多少言葉の違いがあるが同じ内容のもの。2つの部落で演じられることから、その重要さと昔は別々に行われていたことを示唆させる。

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