7月31日は四ヵ字の4御嶽が集結するムラプールが開催された。この祭りのいわれは、オヤケアカハチの騒動に由来し、真乙姥が長田大主の首里王府からの無事な帰還を願って祈り、成就したなら綱引きをすると神と交わした約束から発している。結局、長田大主が無事帰還したことで、女の綱引きを真乙姥は披露するようになった。
豊年祭で、各御嶽からの奉納が終わると、種子の引き継ぎ式が行われた直後に、神司から抜き棒を与えられ、それを掲げて境内を出てくると、女達が集結して、ガーリーが盛大に展開。するとそばに用意された大綱を女達だけで抜き棒を刺して、儀式が終了。
神事は終わり、あとは昔の番所近くに周囲のギャラリーらとともに移動して、ツナノミンと大綱引きを実施。そちらの会場も大いに盛り上がった。神事に立ち合うことで、来年の豊作を祈願する市民はあるのだが、むしろ神事終了後の綱引きの参加に市民は力が入っている。
四ヵ字の御嶽の氏子を真乙姥御嶽に呼び集める祭りは、政治性がうかがえる。大浜豊年祭はオーセ御嶽の前で、そこはいわば税の徴収場所。平得・真栄里の豊年祭は大阿母御嶽で開催され、そこは神司を束ねる人物の御嶽だった。政治性が高い豊年祭は、真に農民のためのたのしみだったかどうかは、・・・公式の娯楽で、あくまで士族が許す無礼講的な集団での賑わいを許すイベントだったかも。
今は、庶民の伝統の行事で賑わいを楽しむ観光客も集まるイベントだ。由来が女の約束から来ているのは、面白いはず。