尖閣列島戦時遭難者慰霊祭

尖閣列島戦時遭難者慰霊祭

 7月3日、石垣島舟倉に立つ尖閣列島戦時遭難者慰霊碑の前で慰霊祭が開催され、約40人の生存者・遺族・関係者が参集。慰霊碑に向かって線香を上げ、冥福を祈っていた。
 挨拶に立った慶田盛用武会長は、八重山における自衛隊基地の建設に触れ、日米の地位協定の見直しもできない状況で、自衛隊の基地の建設は矛盾しているとし、自衛隊基地の建設の動きに中国が呼応して兵力増強を企てれば、自衛隊基地設置そのものが抑止力にはなり得ないと述べていた。
 この日は、生存者のひとり宮城アイ子さんがはじめてこの慰霊祭に参加。会では常連の兄の体調を気遣っていっしょに参加する予定が、兄は当日行けなくなり、意を決しての参加となった。宮城アイ子さんは、当時5歳ながらも壮絶な体験をこの日参加者に貴重な体験の断片を披露。自身が乗った疎開船が銃撃にあり、船が炎上して海で漂流。無事だった船に助けられ、魚釣島での空腹の日々がありと、自身、思い出すことが辛い体験が語られていた。話せば辛いことが思い出され、長くは話せない様子だった。
 この慰霊祭の日は毎年のように炎天で、こんな日に疎開船が銃撃され犠牲者が多数出たまま、漂流そして無人島に漂着は、過酷さを実感されるもの。45日間を食糧難の状況で切り抜けた日々は、想像を絶する事態が想起される。体験者の誰もが、言い尽くせない辛さから、体験者自身の口を閉ざしてきた。山根頼子さんは「すこしでも後世に証言を残して、この悲惨な歴史の風化を避けたい」と述べていた。

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