八重山メーデー事件を考える集会開催

八重山メーデー事件を考える集会開催
八重山メーデー事件を考える集会開催

 5月1日はメーデー。この日、八重山メーデーを考える集会が午後1時から石垣公民館で開催され、60名が集まって、戦直後の混乱期に八重山で実施されようとして潰されたメーデーについて学習した。この日、冒頭、大浜孫良氏作詞、喜友名英文作曲の「自由学園の歌」をはじめ、「りんごの歌」、「聞け万国の労働者」が参加者により会場に響き渡った。このあと郷土史家で多くの著作を持つ大田静男氏が米軍に潰されたメーデーのいきさつを説明。メーデー首謀者の宮良長義、大浜孫良両氏が米軍に逮捕され、メーデーの日の行進はできず、そのときに作成された旗は日の目を見ないままに、隠し置かれた。その後、八重山の心意気が評価されて、1950年の東京でのメーデーではじめて旗が使われたが、1952年の血のメーデーの混乱のときに行方不明となってしまった。その旗を、今回、大田氏は復元。物資不足の終戦直後だけに赤い布はなく、48枚の端切れを集めて縫われてあったという。その旗を手にメーデーの行進を大田氏は参加者とともに実施して、あの日、実現できなかった旗の行進を、今回集まった有志で実施。
 旗は大川公民館まで行進。この日、メーデー八重山地区大会が大川公民館で実施され、集まった労働者は、60人を少し上回る数。組織から集まる旗は、わかりやすく見事だが、八重山のメーデー事件が物語る歴史とは、乖離したように見えて寂しい。壇上でマイクを握る声は、未組織労働者を支援すると歌うも、戦う労働者の敵は、見えないままになって久しい。労働者は権利を自ら守るのが当たり前の世の中は去り、右も左も育児に逃げる家族主義に浸って、長いものに巻かれ、進歩がないことに馴れつつある。

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