自然は、観光パンフが歌う景観のすばらしい場所だけにあるのではない。身近な雑木林が持つ植物の繁茂の、一見すると見苦しい草場にもある。微生物をはじめとする目に見えない生物も含めた、食物連鎖などでつながる生命の集合群があって、生きた自然が成り立つ。
2013年の新空港の開港前後から、ずっと土地購入を促すために地主が雑木林を平たく伐採している。植物は根こそぎ削ぎ取られ、民家の建設用地にする。移住者は増えている。しかし一方で去る人も増えている。島に長く暮らす住民は気づいている。雑木林を潰して立つ建物は長くは住めないことを。台風が毎年考えられない猛威をふるう八重山だ。一年目に大丈夫でも、来年も来る。これを繰り返すほどに、自然の厳しさを実感することになる。一方、ここ最近の新築の高層アパートになぜか雨戸を付けないところが増えている。メンテナンスが大変だからかだろうか。台風で雨戸が飛ぶことが在れば、まず紛れなく周辺に迷惑がかかる。しかし、高層でまともに風が来る場所では、最悪の事態が想定できる。頑丈な雨戸は必要だ。ないのは、保険をかけているからなのか。意味不明だ。まるでワナにさえ見えてくる。八重山の文化も、たとえば移住者が豊年祭をうるさがるとか、理解のない人が移住してくると、やりにくくなる。郷には郷に従うべしと、強く歌うことは必要なはず。雑木林の伐採光景を見る度に心配になる。もうすぐ、自衛隊、海上保安庁の職員らが、大挙して八重山の島々にやってくる。もちろん家族もだから、子供達も来れば学校も賑わう。好むと好まざるとに関わらず、命令での転勤だから、島が好きで移住する人とは、一線を画する。島の歴史に興味を持たず、来島する転勤族の人々。持ち込まれる本土論理が、島で暴れられるのは心配だ。今、島の人口は自然に増え続けている。こうなると、外からいいとこ取りを目指す、土地を買いあさる人の目が集まる。目指すのは人口増加ではなく、インフラの順調な建設に合わせたゆっくりとした人口増加だ。投機筋を喜ばせるような、観光目標や人口目標は、やめてほしいものだ。