明和の大津波慰霊祭が4月24日午後3時から市内宮良タフナー原にある明和の大津波遭難者慰霊之塔で行われた。毎年4月24日に実施されている市主催の慰霊祭で、犠牲者への哀悼に加え、防災意識の向上を願って実施されてきた。以前は、民間団体が大津波の犠牲者の骨を安置し、慰霊する場所をつくって慰霊祭を開いてきたが、団体の構成員の高齢化から石垣市に移管された。阪神大震災以降、数多くの地震や津波の被害が各地起こっており、世界的に津波に関心が集まった矢先に、東日本大震災では世界から注目を集める震災被害となったのは記憶に新しい。直前に世界の地震研究者が日本に集まって各地を視察していた。八重山にも来訪して、明和の大津波の津波石を見て回った。明和の大津波が歴史に残る注目ポイントは1771年という古い時代のことながら、その史実データが古文書にしっかりのこされていること。「大波之時各村之形行書」に、当時の琉球王府の役人が1771年の災害を詳細に記録し、残っていること事態が世界的に稀だという。「津波」自身が「ツマミ」と世界で言われるほど、津波研究は日本の独壇場となっている。そこにおこった東日本大震災。空前の天災で、研究の次元が変ったことは確かだ。
さて、明和の大津波慰霊祭だが、この日は一般市民など約200人が参列。代表献花、作文朗読、詩吟奉納が行われた後、一般参列者により献花が行われ、続々献花台に白菊を置いて、犠牲者の冥福と災害時の備えや心構えを、誓っていた。