石垣島大浜の豊年祭が7月28日、29日の二日間行われた。大浜は石垣島が石垣町と大浜町だった時代の役場のあった場所。四ヵ字市街地中心の石垣町に対し、大浜町は農業の盛んな大浜、宮良、白保などの北部地区が中心。北部となればとりわけ農業が中心なので、この地区の豊年祭は農業的な熱気がある。7月29日は、ムラプールの日で、大浜の5つの御嶽の神司がカースンヤーの浜で、アガリ節を歌って、ユークイをして、海から幸を引き寄せる願いを実施。大浜の豊年祭は、この部分が四ヵ字や平得真栄里の豊年祭と違ってくる。「東から来うる 御舟 我が上ぬ すんきゃら スーミヤヨ スーミヤヨ 世ばなうれ」と、はじまるアガリ節こそ、大浜豊年祭の願いの骨。無人の舟が種子を積んで漂着したことが歌われているのだった。この日の大綱引きは、10分を超える熱戦で、10分綱を引き続けるのは、並大抵ではない。勝つために、時間をかけて、綱が動けるタイミングを計り、ひくタイミングを笛で上手に合図して、上の村が勝利した。10分の粘りは、さすが農業の村。下の村がひくタイミングに、合わせてひくことで、綱が動かなくして、疲れが出て力が弱り出すのを回避するべく、じょじょにひくように、長く引かない。やがて、じわりじわり引き、勝利となる線まで綱をコツコツ10分かけて移動。最後は、一気に引き切って、上の村は勝利していた。