6月23日午後3時からバンナ公園Aゾーン石碑コーナーの八重山戦争マラリア犠牲者の塔で八重山戦争マラリア犠牲者追悼式開催され、約250人の遺族・関係者が会場に集まった。今年も、軍の命令による住民のマラリア有病地への強制疎開から3000人以上の犠牲者の御霊を慰めるべく追悼式が行われた。平成9年から行われているこの追悼式には、今年も八重山戦争マラリア犠牲者遺族会長の篠原武夫が追悼の言葉を述べ、戦争マラリア犠牲者の死が恒久平和を願う人々によって、後世に語り継がれることを願うと述べていた。軍隊が住民を守るのでなく、国体護持なる抽象的な国家像に国民が奉仕させられる存在だったかつての時代。それでも許される訳のない危険地帯への住民の強制疎開を、戦後、国へその過ちを認めさせ、国に慰謝事業を実施させこの追悼のための施設ができた経緯は、実に圧巻の一言。この日で、沖縄本島に在住の篠原氏が会長職を降りた。氏は「これからは石垣島在住の会長によって2世3世が数多く加わる、活発な活動を遂げて、恒久平和に向けた様々な取り組みを期待したい」と述べていた。篠原氏が国へ訴え、遺族会を立ち上げ、東奔西走して慰謝事業までこぎ着けたわけだが、一部に個人への国家賠償へつなげたかった人々とは若干しこりを残していた。非戦闘員の国民の戦争犠牲で国から慰謝事業を引き出した例はほかになく、マラリアを知りながら強制疎開を命令し、3000人以上の一般住民を死に追いやった国家権力の行為は、歴史的事実として刻まれ、軍隊のあり方を永久に問いかける事件として、忘れ去られてはならない事象である。