産業まつりに八重山の将来を見据える視点を

産業まつりに八重山の将来を見据える視点を

八重山の産業まつりと名が少し変わっている八重山産業まつり。その変化は、名前だけではなくなっている。かつて石垣島まつりに吸収されたかに、市民会館の一角で慎ましい展示コーナーで占められていた八重山産業祭り。20年前は、さとうきびの品種が、実物ごとに並べられ、基幹産業が紹介され、将来の八重山の明るい展望を描き出そうと、それは気持ちのこもった取り組みが、そこに感じられた。そう、そこには新空港の開港を目指す県や市の取り組みも展示されてあった。産業の「産」の字に、想いがあった。あれから、石垣島まつりと離れ、八重山青年会議所が企画を主導して、新たな八重山産業祭りがそれまでの静かなものから、活気溢れるものに変わった。若い力が生み出したものは、応える民間事業者の間に、確かなものをはっきり見せるに至っている。楽しめる産業祭りになっている。だからすでに駐車場が満杯で、足に困るほど人はたくさん来場している。あのJAやJFが、第一次産品の生産に課題を抱えて「産業」を模索した日々が懐かしい。一類米を生産し、パインを加工工場から生果販売中心へ移行し、サトウキビ収穫のハーベスターの台数が増え、ウリミバエの根絶からマンゴー生産が冴え、オウシマダニ根絶から子牛生産が活性化し、また石垣牛ブランドが確立し、ヤイトハタの養殖、シャコ貝の養殖、モズクの養殖など第一次産業がこうして結実してきた。郡民消費者の関心を引くことに成功したあと、今一度、「産業」に目を向けて、大多数が関わる危機的な「産業」のTPPなどの暗雲を、検証する場としても、この「まつり」は利用されたい。将来の八重山を見据える取り組みは、忘れられて欲しくない。あくまでも産業祭りは、出店(でみせ)の祭典ではないはずだから。

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