7月3日午後2時から石垣島の新川舟蔵にある尖閣列島戦時遭難死没者慰霊之碑の前で尖閣事件遺族会による慰霊祭が開催された。遺族関係者の焼香の後、この日挨拶に立った慶田盛用武会長は、1969年尖閣列島魚釣島に慰霊碑を建立した下地博さんが今年3月に他界して、慰霊碑建立に携わった人が全員亡くなったことをのべ、他界した人の意志を引き継いで不戦を誓い、恒久平和に努力したいと述べていた。この尖閣事件は1945年7月3日の、慰霊の日と終戦のあいだに起こった疎開船遭難事件で、石垣島から台湾へ向かった2隻の疎開船が米軍機の襲撃から1隻が沈没、のこる1隻が機関を破壊され漂流。尖閣列島の魚釣島にたどり着き、一ヶ月余り、厳しい生活を余儀なくされ、沈没から帰還するまでに、溺死者、餓死者、病死者など多くの犠牲者(正確な数は不明)が出た事件。