八重山戦争マラリア犠牲者追悼式

八重山戦争マラリア犠牲者追悼式

沖縄戦の組織的戦闘が終わった1945年6月23日から66年が経ったこの日、66回目の慰霊の日を迎えて、沖縄県では沖縄本島での沖縄平和祈念式典をはじめ、各地で慰霊の日の平和祈念行事が行われた。沖縄本島から420キロ離れた石垣島でも、慰霊の日世界平和の鐘打式や八重山戦争マラリア犠牲者追悼式、全戦没者追悼式および平和祈念式が行われた。石垣市主催で行われる八重山戦争マラリア犠牲者追悼式では、戦争マラリア遺族会や遺族関係者および市民が多数出席して、慰霊碑の前で焼香をして、マラリア罹患による無念の思いでこの世を去った御霊に平和を祈念した。追悼の言葉が八重山戦争マラリア犠牲者遺族会会長の篠原武夫氏と沖縄県知事から述べられ、篠原会長は沖縄戦が戦争犠牲者が、戦闘員よりも民間人に多いことを述べ、八重山でもマラリア罹患による死者の数が多かったことを述べていた。日本軍によって島の住民をマラリア有病地に強制疎開させられ、家族がその犠牲者を葬る手段もないまま、そばになくなく埋めるしかなかったことや、戦後には戦争孤児が「子犬のように」周囲をうろついて職を探すしかなかった、当時の悲惨な状態を語っていた。追悼の歌では、ソプラノ歌手の上江洲ゆうな(南山舎代表長女)が「戦争マラリア なかったなら」「ピエ、イエス(鎮魂歌)」の2曲を熱唱。思いを込めた歌声で犠牲者を悼んだ。

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