亜熱帯気候の島嶼域である八重山。山に富む島があり、そこは淡水に恵まれ、巨樹巨木がある。大陸であれば砂漠が広がるような北緯24度の位置で、太陽と水の恵みに与(あずか)るミラクルの島嶼だが、それを当たり前に思えば、巨樹巨木を簡単に切り捨てられる。その切ったあとに続くものは、些末な益につなぐ思い。それがしばしつづられて思い出は消えていく。自然は、条件が整えば再生し得るし、人として自然を云々できるほどのものは、人自身はたしてあるのか、少々疑問も覚える。が、そう思う記者も矛盾ないわけもない。巨樹巨木に比べて、つづられいく誇らしいものは今の時代、残念ながら見当たらない。人の存在の泡沫(つかたか)ぶりが、こういう巨樹巨木の伐採に感じるのは、記者だけではないだろう。困れば邪魔になる。だから切る。巨樹だから簡単ではない。そういう次元にある現実は、それなり理解できるのだが。時間に追われて、こうなっていくのだ。復活してほしい八重山のゆったりした生活時間。