沖縄と富山は昆布と漢方の売買で江戸時代に縁があり、その影響から現代では昆布消費の高さが互いに双璧なのは有名な話。清国と琉球国の朝貢貿易でやりとりされた昆布と漢方は、沖縄と富山の食文化と富山の売薬事業に、大いに影響を与えた。この取り組みと八重山の関係は、特別なものはないが、朝貢の際には尖閣諸島を目標に船の航海が行われており、いわば貿易の際の航海の要であった。しかし、上陸したわけでなく、単に目標としただけのもの。北前船が北海道から昆布を積んで西回りで大阪に入るコースをいったことは知られている。また、なぜか八丈島で昆布満載の北前船が座礁した史実もあるという。北海道の松前に琉球漆器が多数残っているのも、不思議な話である。写真は、富山県の松川の満開の桜。松川は昔の神通川の本流で、北前船から荷物を小舟に下ろして、この松川を運河代わりに活用していたという。今は桜が開花する時期に、花見の船が出るばかりの富山の松川だが、昔の船には尖閣諸島のそばを通り琉球経由で届けられた漢方が、しっかり積まれた船が通ったはずなのである。(写真は越中松川の桜)