八重山戦争マラリア遺族会による避難所めぐり

八重山戦争マラリア遺族会による避難所めぐり

 8月29日午前9時から八重山戦争マラリア遺族会と八重山平和祈念館との共催で八重山戦争マラリア遺族会平得真栄里避難所めぐりがおこなわれた。戦争マラリア犠牲者の最も多かった旧大浜町の平得・真栄里の住民が避難した場所をめぐって、当時の状況を経験者から証言してもらうもの。この日、27名の市民が参加して、めぐる場所が5カ所の予定が9カ所に増えても、熱心な参加者はノート片手に最後まで避難場所をめぐって証言者の話す内容をメモしていた。同遺族会では毎年1回、この避難所めぐりを実施する予定で、次回は来年開催。白保出身者の意欲的な参加から見て次回の避難所めぐりは白保になるような・・・。八重山戦争マラリアというと即「白水」と思う人が大半。ところが白水は四ヵ字の人の避難所で、島の各字でそれぞれ指定された避難場所が存在する。なかでも平得・真栄里地域のもっとも犠牲者が多かった場所。彼らの避難所は、平得山田(さんだー)、大田原、武名田原、三和など、広範囲に広がる。なかでも於茂登岳の水源地・武名田原が軍から指名された公式な疎開先。真栄里ダムの上流に当たる。大浜集落から遠いために、そこへ至る手前の自分の畑に、大浜の人は避難した人がほとんどだったという。

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