戦後の混乱期、復員兵や故郷に帰る人々の急増で深刻な窮状に見まわれ、否応なく新天地を求めて移民に応募する2男、3男の家族らは県全体で3500ともいわれた。石垣島での最初の移民の村で知られる星野地区が式典を開いて先達を讃えてた。3月21日午後2時から石垣市星野公民館で入植60周年記念式典がおこなわれた。まずは、砂川利勝氏の開会の挨拶のあと、村のために尽力した先人への哀悼の意を示す黙祷ではじまった式典は、「星野の紹介」および「入植の歴史」がプロジェクターでビデオ放映された。石垣市星野地区は、大宜味村から自由移民として1950年3月16日に故・山口忠次郎ほか先遣隊16戸17名が通路川から星野の地に入り、ガジュマルの下に一夜を明かしたことからはじまった。ジンギ(シマトネリコ)ヤマと言われた亜熱帯植物が生い茂る密林を伐採し、各戸にそれそれ土地を配分、壁も床もない屋根があるだけの住居に寝泊まりしながら、大自然と格闘。イモの植え付けによる食糧の確保を軸に、伐採した木々を薪にするなどして、厳しい自然に対峙した。一時は金も食糧も尽きる窮状を経験しながら、村人総出で協力をして、今の星野地区がなったことをビデオは物語っていた。この日、市長になりたての中山義隆市長が、故山口忠次郎の偉業と入植者らの尽力に敬意を示していた。また大宜味村からこの日のために出席した島袋義久村長も祝辞を述べ、大宜味村出身の先達たちの感動的な話を、是非町に持ち帰り、報告したいと述べていた。