明和の大津波遭難者慰霊祭

明和の大津波遭難者慰霊祭

 石垣島の宮良湾には大きな岩が転がっています。これは何度も起こってる大地震の際の津波で打ち上げられたものと言われています。その大津波のひとつ、1771年(明和8年)、八重山に勃発した大地震からおこった大津波で、9313名の犠牲者が発生。その後、疫病などの惨事にも見舞われて、むごい歴史を八重山は刻みました。4月24日、犠牲者の冥福をいのるとともに、市民の防災意識を高めることを目的に、明和の大津波遭難者慰霊祭が午後2時から宮良のタフナー原でおこなわれました。これは昭和58年から「明和の大津波遭難者慰霊祭」として実施されており、多くの出席者とともに御霊を追悼し防災意識を確認するイベントです。式に先立って、遭難者に対して1分間の黙祷がおこなわれたあと、式辞が大浜長照市長によって読み上げられ「この悲惨な過去の歴史を教訓として、災害に強い町づくりをしなくてなりません。」と述べていました。代表者献花がおこなわれたあと、石垣小学校6年生の新城大地くんと白保中学校の豊里大志(たいし)くんがそれぞれ、「明和の大津波はすごかった」「自然災害と防災意識」という、自ら書いた作文を読み上げ、防災への意識向上を誓っていました。このあと、慰霊の塔に寄すと題する詩吟が奉納され、大東吟道会八重山支部(支部長石垣ハツ)の人々の声が会場に響き渡っていました。最後は、一般献花がおこなわれ、参列者約150人が白菊を献じていました。『明和の大津波犠牲者慰霊祭』の動画はこちら

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