宮良湾の赤土

宮良湾の赤土

 宮良川、磯辺川、大浜集落から赤土が流れ出て宮良湾に注ぐことで、この赤い水がたまります。やがて、北上する赤い帯は、リーフの外へゆけないものが、白保へどんどん流れ出ます。白保の海の轟川より南の赤土汚染の主犯は、この宮良湾に貯まった赤土です。なかでも宮良川から流れる赤い濁流が白保へ北上する本流です。 かくして、宮良川と轟川の赤土が、白保の海をずたずたにしてきました。赤土を流す三面バリ側溝をつくったのは国。畑の100m区画という北海道型機械化農業を押しつけたのも国。水の浸透性の高いサンゴ礁石灰岩の島で、わざわざコンクリート側溝を用意して、赤土を海へ流す設計を考案。これが日本の1970年代の農業の実力です。 台湾では、戦前の日本人が生み付けた農業技術が花開いて、食料自給率83.1%を誇っています。 八重山は隣国台湾からマンゴー、パイン、水牛導入と、様々に農業を教わりつつ、亜熱帯に適した農法めざして模索。米も一時は、台湾の品種が主流でした。本土が島に入れたものは、高度経済成長に沸く時代のまずいやり方。赤土流出に見る、その負の遺産とともにある八重山ですが、是非八重山の農業再興は、台湾の農業を学んだ技官を島に派遣して、亜熱帯の可能性という意味で、国策的に取り組んで欲しいところ。熱帯・亜熱帯の開発途上国向けの技術醸成場所です。

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