黒島でパーレクイ(豊年祭)

 8月5日午前10時から竹富町黒島で豊年祭がおこなわれ、黒島住民、郷友会、観光客など1200人が、会場となる宮里海岸に集まり、今年の五穀豊穣に対し神への感謝と来夏世の豊作を祈願していました。黒島の豊年祭は、船漕ぎ競争があることで知られており、八重山の豊年祭の中では、鳩間島の豊年祭とこの黒島の豊年祭の船漕ぎ競争には観光客には人気があります。船漕ぎ競漕のいわれは、昔、黒島では琉球王の命令で、農作物の増産を目的に作付け面積を競う原勝負(パルスーブ)が村対抗で年中行事としておこなわれていました。ある年に、原勝負の勝負がつかないために、広場で綱引きがおこなわれ、それでも決着がつかず、海上での船漕ぎ競漕をして、ようやく決着がついたときがありました。ところが、なんとその年が、豊作になり、以来黒島の人は、報われた豊穣の世を意味する世果報世、あるいは、子孫繁栄の幸せを意味する弥勒世は、海からもたらされると信じるようになり、豊年祭を海上での船こぎを中心に行うようになってとされます。船漕ぎ競漕を、黒島では爬龍船漕(パーレークイ)といい、この日、午前10時すきから、朝漕(あさくい)と呼ばれる儀式がおこなわれ、白い扮装の宮里と青い扮装の仲本が、大海原に船に繰り出します。パーレクイは、2つの船で競われ、各村から選ばれたウーニと呼ばれる若者が、浜からスタート。船に乗り込んで沖に用意された浮きを手にして、浜までいち早く戻ってきたものが勝利となります。二人は杯を受けたあと、スタート。砂や波に足をとられながらも、船に乗り込みます。洋上では、漕ぎ手が力を合わせて、波をものともせず漕ぎ進みます。結果は、仲本が勝利。このあと、勝ち負けにこだわらず、ウーニや漕ぎ手を先頭に豊年ジラバを歌いながら円陣を組んで踊り続けます。奉納舞踊では、まずミルクが登場する、ミーラクがおこなわれ、このほかハザブドゥン、ガッキブドゥン、ハサブドゥン・コームッサ、ハディクマイと群舞や芸能が披露され、最後は迫力ある棒術が奉納され、神への祈願が続いていました。『黒島でパーレクイ』の動画はこちら

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