奉納は双葉地区をはじめ、大川・石垣・登野城の各字の旗頭がほか、新栄町など周辺の町や、石垣製糖、石垣市役所などの旗頭が真乙姥御嶽に集結。
最初の奉納は、新川からおこなわれ、旗印と五穀を持った稚児を先頭に、水主、世持、長老と巻き踊りがスタート。ザイ、ツヅン、イナスリ、カゴ、アズンと続き、銅鑼が高鳴る中、鎌をもって大きな動きを見せる、カギバライや、クワを振り上げるターウツなど、威勢のある奉納が続々と真乙姥御嶽の境内へ入り、奉納していました。
このあと、各字の奉納が続々おこなわれました。
八重山の豊年祭の中で、四か字の豊年祭では、女だけで行われる「アヒャー綱」と呼ばれる儀式があります。
夫婦3代が健やかにある一家の女性が毎年選ばれて、雄綱と雌綱を結ぶ棒をさばくブルピトゥ(棒貫人)の役を務めます。今年は、漢那初さんが選ばれ、神司から棒を受け取り、大勢の女性達が「さーさー、さーさー」とかけ声を上げ盛り上がる中、ブルピトゥが雄綱と雌綱を連結する棒を差し入れて、健やかに栄えるよう、島の豊穣を祈願していました。
このあと、場所を移動して日没を待ってツナノミンがおこなわれ、松明の下、二人の武者による戦いが披露され、市民から観光客まで、老若男女が参加して盛り上げる大綱引きがおこなわれ、西が勝利となり、来夏世の豊穣が約束されました。