島のジャーナリスト亡くなる

島のジャーナリスト亡くなる

 2007年5月1日、友寄英正氏が亡くなる。往年69歳。告別式が三宝堂で2日午後3時からおこなわれ、多くの友人・知人・ゆかりの人々が最後の別れに訪れていました。
 氏は、長年八重山記者クラブに所属し、琉球放送八重山通信員として八重山の情報を映像で発信。また金城朝夫のペンネームでの執筆活動も旺盛で、琉球新報に連載した八重山での開拓移民史は書籍「八重山開拓移民」となっています。 このほか、「観光コースにない沖縄」や「月刊情報やいま」での執筆など、地域にこだわった視点で、島の内外で活躍。長年の八重山に密着した取材と、その人望の篤さで、八重山の島々に多くの支持者があります。
 2004年9月にRBCを後進に譲り、これまでの体験を生かして、雑誌等で執筆に力を入れると思われた中、志半ばに病気に倒れ、2年の闘病生活を経て2007年5月1日、帰らぬ人となりました。
 沖縄の本土復帰直後の本土資本による島の土地の買い占めを知り、多くの若者が帰郷して、買い戻し運動と島起こし運動を展開した時代があります。このとき農業を守る立場で農民ライターを名乗って、文筆で活躍。運動は買い占められた2000haから1500haを戻しました。島を興すイベントも島ごとに実現。盛況です。
 静まっていた八重山の土地が、新石垣空港の決着からバブルへ向かうこの間、氏は病に倒れ、氏の執筆活動は足踏み状態でした。島には大切な人物でした。法名は釈英樹。ジャーナリストとしてその仕事ぶりには、大樹のごとき存在感がありました。冥福を祈ります。

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