海外からの進出阻止をにらんだ通信装置

海外からの進出阻止をにらんだ通信装置

 火番盛は、本土の鎖国政策に端を発し、沖縄各地にも遠見番所が設けられ、とくに八重山・宮古はフィリピン・台湾に接していることから、海防には特に注意を要した模様。 1624年以降、スペイン船の日本への来航は禁止されたが、沖縄近海には南蛮船が依然として出没し、キリシタン宣教師の侵入もおこった。彼らはフィリピンのマニラにキリスト教宣教師の拠点をつくったほか、台湾基隆にはサン・サルバドール城、台湾淡水にはサント・ドミンゴ城と、ふたつの要塞を築いて、中国や日本への布教の布石としていた。 その延長線上には、軍事進出が考えられており、この事情の中で、八重山・宮古の遠見番制度が確立されていった。 なお、八重山・宮古の遠見番の烽火の方法は、球陽のものと違いがあり、八重山の独自性が容認されていた模様。 さて、火番盛は島や国土を守る大事な通信手段だった。今は、世界の情報が得られるITがある。これを火番盛が活躍した時代に重ね合わせれば、もっと島を守るため、栄えるためにITは活用しなくては、おかしいことに気がつく。 (写真は波照間島のNTT施設)

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