■原曲の大切さ
宮良長包作曲の「汗水節」(仲本稔/詞)の現存最古のガリ刷り楽譜が石垣市に寄贈され、「一般的に知られている同曲とは歌詞や譜面に違いがある」という。(八重山毎日新聞)
原曲は大切だ。しかし歌は生きているので歌い継がれる過程の変化はまぬがれない。それをふまえ元の楽譜は大切にしたいものだ。
■長包のオリジナル楽譜はどこに
2004年、石垣市主催の「第5回宮良長包音楽祭」で八重山農林高校の生徒たちが長包作曲の開校記念歌を歌うことになった。
この歌は昭和12年同校開校時に作られたもので作詞は宮良高夫。
出演に伴い楽譜の所在が話題になったが長包が書いた原本はさがせなかった。しかし同校の「学校要覧」には楽譜歌詞が掲載されている。
その出所を求め資料をさかのぼると1980年(昭和55)から掲載は始まっている。学校沿革には「昭和53年6月19日 開校記念式典『開校記念歌』発掘、斉唱」とある。それを手がかりに当時の職員をたどってみた。
■岸本寛栄先生(談)
2004年6月15日 電話にて
「昭和53年、私が南部農林高校に勤務していたとき、当時八重農勤務の大浜義直先生より『開校記念歌が歌われなくなり消えてなくなりそうなので、沖縄みずほ会の会員からきいてほしい』との依頼があった。私はすぐにテープレコーダーを持って1期生の東金城敬一氏の職場をたずね歌ってもらい録音した。東金城さんは少し歌詞を忘れているところもあったが、すぐにすらすらと歌ってくれた。この録音テープをもとに南部農林高校の新里という音楽の教師に採譜をしてもらった。その後、大切な歌なので学校要覧などに載せていってはどうかと進言した」。
つまり、楽譜は東金城敬一氏の歌を新里康子氏が採譜したものだということがわかった。学校要覧には出所の明記が必要ではないだろうか。
■「崎山用豊君のつくったもの」楽譜
ところがそれ以外に「崎山用豊君のつくったもの」というメモ付の楽譜も存在していて学校要覧の楽譜とは若干異なる。最後の3小節に「テープではaであるが´aのほうがまとまる」というメモがついて2通りある。これも録音からの採譜と思われる。
ところでこの最後のメモ書きだが、たしかにaで歌うともう一拍足りない感があり、´aでまとめたくなる。しかしこの歌がもしユンタならばどうだろうか。もう一拍のところに2番の歌詞を重ねて歌えばすっきり収まる。
■ユンタでは?
長包は作品に郷土の音楽を多く取り入れている。八重山農学校は「本県中等学校で初の男女共学」である。長包がそれを意識し農作業で歌われるユンタのように男女掛け合いの歌を作曲したということは充分考えられるだろう。
曲中の「えーいえい」という返しは、男女それぞれのパートに分かれて歌うと面白い。もっと広くみんなで愛唱していきたいものだ。
それが歌を発掘された卒業生や先生方、なにより宮良長包先生が望んでおられることではないだろうか。