真実

 稲刈を終えた田に鴨や鳩が落ち穂を啄ばんでいる。
 恥らう乙女のように酔芙容の薄紅色の花が咲いている。
 櫨の木の黄や赤が緑のなかで鮮やかに映える。紅葉狩りなどという風雅な遊びなどない。
 干上がった池の枯蓮の葉が拳のようにちぢみ、細くなった茎では支えることが出来ず折れたり、必死の形相で立ち尽くしている。まるで襤褸を纏った禅僧のようで、一幅の墨絵である。花托や枯葉、茎が池の黒土の上に散在する。やがて、冬の水に溶け土に帰る。夏の凛として気品に満ちた花を知るだけに散りつくした無惨な姿が侘しい。
 枯蓮を眺めていると栄枯盛衰、奈落の底に落ち込んで行くようで何もかもが虚しくなる。
 裏切りや背信、それによって仲間や同志が虐殺されたり何十年も獄舎につながれたりしたらどうなるか。
 裏切り者は素知らぬ顔で、歴史の闇にまぎれこんで正当化し神格化される。
 ロシアのスターリン主義やヒットラーのナチスの世界を想起するが、米軍支配化の沖縄でも権力に擦り寄り、密告したり仲間を裏切った者がいた。米国で元高等弁務官や民政官などを調査したひとから高名な人物の名を知らされたときはショックであった。
 そして、同じようなショッキングな電話を受けた。
 沖縄無産運動史に必ず名が出て来る松本三益(旧姓真栄田)スパイ説を渡部富哉氏が講演するというのである。
 渡部氏といえば、ゾルゲ事件での伊藤律スパイ説を徹底した調査で覆した名著『偽りの烙印』で知られる。社会運動資料センター代表である。
 ゾルゲ事件で検挙された安田徳太郎と松本三益名誉棄損裁判「聞き書」と「歴史の真実」をめぐってと題して講演は大きな反響を呼ぶだろう。
 渡部は、元日本共産党顧問であった松本を当局のスパイとして、一九三一年沖縄教員労働組合(OIL)事件で検挙された大城永繁(大城昌夫)の松本スパイ説(この事件では大城をふくむ四人が検挙され真栄田一郎・安里成忠が狂死した)報告や、石堂清倫や中野重治らが一九三三年共産党九州地方委員会が弾圧され西田信春が当局のスパイに密告され虐殺された事件を調査して三益はスパイだと断定した資料、広西元信が松本は三・一五事件で検挙されながら理由不明のまま釈放で出獄したことなどをあげ「松本三益はスパイだ」と六〇年前に公表した資料、ゾルゲ事件との関係、松本が名誉棄損と訴えたときの弁護士守屋典郎の書いた松本の抗議と弁明、松本の日本共産党入党年月日の曖昧さその他を検証し松本スパイ説を展開するという。
 渡部氏は資料の虫であり、徹底的した史料の検証と分析、批判には定評があるり説得力がある。それだけに、当日は、日本共産党関係者も招いて発表するという。
 電話の向こうからは自信に満ちた渡部氏の声が聞こえて来る。逆に僕は次第に心が重くなっていく。
 手許に松本三益著『自叙』がある。その活動や人脈のすごさに驚く。沖縄における共産主義運動の先駆者が権力と内通するスパイであったと聞くだけでも打ちのめされる。
 共産党名誉議長であった野坂参三も、同志山本懸蔵やその妻をスパイ容疑でコミンテルン委員会に告発し、夫妻はこれによって銃殺された。スターリン粛清の犠牲者である。旧ソ連秘密文書が明るみに出て野坂は共産党を除名された。
 松本死亡から十六年。スパイ説が真実ならば、沖縄(日本)近代社会運動史や共産主義運動史は再検討しなければならないであろう。
 松本と共産党中央農民部員をつとめた小説家の埴谷雄高は「勝者の悪徳には厚い蓋がかぶされ、あらゆる秘密の工作と罠の証跡は恐ろしいばかりにあとかたもなく湮滅されてしまう。そして、敗者と死者の側に立つものの低いかぼそい証言は、たとえいかに悲痛な真実の響きに充ちているにせよ、つねに耳ざわりな繰言として、忌わしい呪いとしてひとびとの話題の横に斥けられてしまうのである」(「政治のなかの死」)と書いた。
路傍に打ち捨てられた、真実の叫びを拾い集めなければならないであろう。
 注目の沖縄知事選挙の結果は原稿を書いている現在、残念ながら分からない。
 沖縄選出自民党の国会議員たちはなぜ辺野古移設を認めたか。仲井真知事の豹変はなぜか。いずれ明白になろう。
 県知事選立候補者どうしの密約はないのか。官房機密費も湯水のように流れているだろう。
 それにしても政治家?の厚顔と饒舌には舌をまく。
 背信と狡智、策謀、策略、権謀渦巻く社会の中で生きることの難しさよ。

大田 静男

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