第10回 ナントの漁村

第10回 ナントの漁村
第10回 ナントの漁村

 大西洋から緩やかにカーブしたロワール河を約50キロ程さかのぼった所にナントの街はある。
 河口から深く入ったこの街は冬の大西洋の荒波から守られ、昔から造船と漁業で大いに栄えた。
 しかし、もっとも大きな利益を上げたのは帆船時代にヨーロッパ、アフリカ、カリブ海の島々、そしてヨーロッパと結ぶ三角貿易であった。その収益で左岸の方にはいくつもの教会の塔が建てられた。そしてそこが今のナントの街の中心となっている。
 右岸に、昔の面影がそのまま残っている美しい船乗りの村があると教えられ、ロワール河の渡し場から対岸のトロントムルトに渡った。確かに昔のままに石造りの家が肩を寄せ合うように集まっている。迷路のような狭い道を歩いていると所々で小さな広場に出るのだがどこか普通の街の公共の広場とは違う。間違って他人の家の中庭に迷い込んだような雰囲気があり、通り抜けられるように道は続いているのだが、なぜか自分がよそ者であると強く意識せずには通れない戸惑いがある。広場の真ん中に枝が広がった木が生えている。質素な外壁は時々鮮やかな色のペンキで塗装されていて、その配色はよく考慮されているのがわかり、実に美しい。人通りは少ない。時々現れる村の住人は、立ち止まる僕の存在がまったく見えないといった風に行き過ぎる。 僕は自分が透明人間になったような気がしてきた。

 船着場がある河岸に沿った通りのカフェの入り口の左側には、目に黒い独眼帯を巻き、木の義足をつけ、頭に黒い三角帽子をかぶった海賊の等身大の像が立ち、そして入り口の右側には、常連客が外でタバコを吸うときに腰掛けるイスとテーブルがひと組と、立ち飲み、立ちタバコ用に立てたワイン樽がひとつ置かれている。僕はカフェの中でビールを注文して外のテーブルに付いた。
 上に晴れた秋空が広がる対岸のナントの街を眺めながら、初めの一杯を一気に飲み干した。二杯目を注文した僕に、成り行きは忘れたが、樽の上に食前酒らしきものが入ったコップを置いて立ちタバコをしている初老の女性が話し始めた。
「誇りになるような話ではないですが、この街が発展したのは、実は、奴隷貿易で儲けたからです。
 三角貿易という言葉をご存知ですか? 帆船でヨーロッパの製品をアフリカに運び、それを売った金で奴隷を買い、その奴隷をカリブ海のグァドループなどの植民地のサトウキビプランテーションに売り、その金で砂糖を買ってフランスに運ぶ。それがこの街を豊かにしたのです。帆船で大西洋を横断するのは大変危険な冒険でしたが、この村には腕のいい船長や船乗りたちがいたのです。船乗りが足りないときはよそ者を酔わせて連れ去ることもありました。酔いがさめたら大西洋の船の上ということになります」
 子供の頃、僕もサトウキビの収穫を手伝ったことがあります、と言いたかったが、窓の無い薄暗い奥の部屋から僕の方を観察している男たちの視線が怖くなり、僕はビールを飲み残したまま船着場に急いだ。

与座 英信

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