海上自衛隊の石垣島寄港目的

 議会議員選挙が終わった。日頃は疎遠の人たちが、突如、親戚だの郷友会だの、同級生だのと言い寄って来る。一票しかないのに、あちらこちらから頼まれて頭が痛いという悲鳴を聞いた。投票しないと逆恨みされる。小さな島の政策そっちのけ地縁、血縁のバーケー(奪い合い)選挙。それにしてもよく燃えるね。
 選挙後、議員の活動を監視するため、八重山ネットワーク結成が話し合われているという。不正行為はないか。不動産業者の手先、利益誘導の質問はないか、収支報告書の追及等などを中心に活動するという。掛け声倒れにならないで欲しいと願う。
 選挙後は、石垣市への自衛隊配備が大きな問題として浮上するだろう。与那国町では自衛隊反対が三人を占め面白くなった。石垣市では自衛隊配備の対応について反対派が十人、賛成が七人、賛否を明白にしていないのが五人と八重山毎日新聞(9月9日)は報じている。態度を表明していない議員は、オール自民党系であり、賛成派十二人と考えるべきだ。
 中期防衛計画によって、配備計画の青写真はすでに出来あがっているはずだ。用地買収が始まるのもそう遠くではあるまい。自衛隊反対運動もいよいよ正念場を迎える。
 海上自衛隊が石垣市民を馬鹿にしていることが『週刊金曜日』(8月29日号)で報じられている。三月三十一日に海上自衛隊の4隻が初めて石垣島に寄港した。商工会我喜屋隆会長、市観光交流協会宮平康弘氏、県建設業協会八重山支部黒嶋克史支部長、八重山防衛協会三木巌会長らが横断幕を持って迎え、その夜、海上自衛隊歓迎行事実行委員会(実行委員長 我喜屋隆商工会会長)によるレセプションが行われたことは以前に論じた。
『週刊金曜日』によれば、海上自衛隊の寄港目的は「海軍史知識習得の一環」「旧日本海軍と(現在の)海上自衛隊は別物」としながらも「実習幹部に海軍史知識を習得させることに意義がある」と小島靖3等海佐(海上幕僚監部総務部総務課広報室・報道担当)は述べたという。
 そのため、入港初日に南ぬ浜町緑地公園にある伊舎堂用久中佐等の顕彰碑と宮良の赤馬之碑下の第23震洋隊(隊長幕田稔大尉)壕を訪れ献花した。
 だれの発案かは知らぬが、なぜ、陸海軍戦没者を祀る八重守之塔や戦争マラリア犠牲者慰霊之碑ではないのか。その疑問に、小島は「収容スペース・交通事情・駐車場等を踏まえて今回は研修先から外した」、顕彰碑については「慰霊ではありますが、いろいろ信仰上の話とかもありますので」、献花や黙祷については「亡くなった方がいらっしゃる場所とかはですね」「慣習としておこなっている」と述べている。
 ふざけた話だ。八重守之塔のあるバンナ公園は収容スペース、駐車場も整い交通事情(距離)も宮良の震洋隊壕の比ではない。市民は周知だ。
 八重山の4ヶ所に駐屯した震洋隊は一度も出撃していない。『週刊金曜日』が指摘するように、伊舎堂らの顕彰碑は近年埋め立て造成された緑地公園に建立された。現場で亡くなった人などいないのだ。
「『英霊』利用の記憶殺しか」とは『週刊金曜日』の見出しだが、まさにその通りであろう。
 戦時中、日本軍の住民蔑視やスパイ視はひどく、特に海軍は露骨であった。「奴等はアメチャンだ、チャンコロと同じよ」「奴等は現地人で、我々日本人とは違う」「奴等はスパイだ」とは、海上自衛隊幹部候補生が献花した部隊と同じ宮良に駐屯した三十八震洋隊の隊長旅井理喜男の手記である。
「肉、野菜、卵を持って来い。来ないと村を焼き払う」と幕田隊長は抜刀して当時、部落の幹部であった東成底光秀さんらを威嚇した。「世の中で一番憎いのは幕田隊長」と述べておられた。ちなみに、幕田隊長は米兵捕虜を斬首し戦後絞首刑に処せられた。
 川平の震洋隊も同じ横暴であった。最後は、身の回りを世話する女性を差出せといわれ、死ぬ思いをしたとは部落会長の喜舎場兼美さんの話。平和之塔には「塔部落より多大の援助をいただき、また御迷惑をおかけしました」と記している。
 詭弁を弄して市民を騙した海上自衛隊は旧海軍と何が違うか。海軍史知識習得の一環などはおこがましい。ただの宣撫工作だ。幽霊の正体見たり…だな。歴史を知れば市民を守れないこと明白だ。ネ。

大田 静男

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