脱脂粉乳とコッペパンで始まった学校給食

脱脂粉乳とコッペパンで始まった学校給食

 八重山郡内の学校給食は、戦後の混乱期から立ち上がり、復興へと動き出した一九五〇年(昭和二五)五月、米国の宗教団体・国際カトリック福祉協議会から送られた援助物資の脱脂粉乳で始まった。当初、ミルク給食は各小中学校とも、家庭からまき供出と母親の輪番労力提供によって実施された。
 それから十年遅れて一九六〇年(同三五)一月、同じ米国の宗教団体から贈られた小麦粉によるパン給食が行われた。また、同年七月には「学校給食法」が制定公布され、学校給食の施策及び運営費の全部、または一部の政府補助や要保護・準保護児童生徒への給食費補助が支給されるようになった。これにより、粉ミルクとコッペパンの給食が始まった。
 本土では、これに先立ち一九五四年(同二九)、国会で「学校給食法」が成立。「小麦の給食形態を基本とした学校給食の普及拡大を図ること」が明文化されて、米作地帯の農村までもコッペパンによる学校給食の普及が進められた。同年、法律が施行され、学校給食の実施体制が整った。
 コッペパンは、日本で生まれた紡錘形で底の平たいパンのこと。そのままか、厚みを半分に切ってつぶあんやマーガリン、ジャムを塗ったりおかずを挟んだりして食べた。学校給食に用いられた理由として、(1)栄養的で食生活の改善に役立つ、(2)麺よりも衛生的、(3)取り扱いが容易、(4)加熱調理がない分、経費が安い、(5)主食として飽きがこない、などが挙げられた。
 そこで、町教育委員会はコッペパンを石垣市の製パン業者と契約し、船便を利用して届けさせた。この長さ二〇センチほどのまくら型のパンは、数時間すれば文字通りコチコチに硬くなった。
 脱脂粉乳は生乳、牛乳または特別牛乳の乳脂肪分を除去したものから、ほとんど全ての水分を除き、粉末状にしたもの。保存性がよく、蛋白質、カルシウム、乳糖などを多く含んでおり、栄養価が高いことから、戦後しばらく学校給食に用いられた。
 粉ミルクの原料の脱脂粉乳は、給食室で予め熱湯で溶いたものを、給食当番の児童が教室へ運び、全員に配った。当時、粉ミルクを飲みたがらない児童は先生から「栄養があるから」とよく言われた。児童たちの中には、飲みやすくするため、自宅から持参した砂糖をミルクに入れて飲んだりした。

竹富町役場 通事 孝作

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