角(ちぃ)ぬ生(む)いんけん人待(ぴとぅま)つん〈四カ字〉

最近、石垣青少年の家の小菅丈治さんから興味深い話を聞いた。近年、八重山の自然が本来持っている力が急速に失われているとの事。それを回復するには、何もせず何十年、何百年と待ち続けるしかないという。
 目的の為とはいえ、私達は何もせず気長に「待つ」事ができるだろうか。とかく「待つ」というのは、「角(ちぃぬ)ぬ生(む)いんけん人(ぴとぅ)待(ま)つん」(角の生えるまで人を待つ)〈四カ字〉、「人待(ぴとぅま)つぇぃー狂人(ふりむぬ)」(人待ちは狂(ふ)れ者)〈四カ字〉、「目(みー)ぬはぎるんけん待(ま)つかんてぃ」(目がただれるほど待ちわびる)〈宮良〉というように、否定的な行為に思われている。せっかちな現代人ならなおさら。
 しかし待ち人が来るのなら、「会うまでの時間たっぷり浴びたくて各駅停車で新宿に行く」、「改札に君の姿が見えるまで時間の積木を組み立てていん」、「君を待つ土曜日なりき待つという時間を食べて女は生きる」(俵万智『サラダ記念日』)のような余裕も持ちたいものだ。

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