第7回 ある愛の終わり

第7回 ある愛の終わり
第7回 ある愛の終わり

ミスター・ヨザ
私はジョナエといいます。 1998年に私のボーイフレンド、プレストンと一緒にパリであなたとお会いしました。憶えていらっしゃるでしょうか?
あの時は、絵を買う気など無く、 モンマルトルのテアトル広場を歩いていたのですが、そこであなたが描いた魅力的な裸婦の絵に出会いました。でも、私たちが広場を一回りし て、あなたの絵を買うと決めて戻って来たときにはもうその絵はありませんでした。他の誰かが買ってしまったのです。
がっかりしている私たちにあなた はすばらしい提案をしてくれましたね。それは私たちふたりを描いてくれるということでした。広場の近くのあなたのアトリエでポーズするの は少し怖かったのですが、でもそれはとてもエクサイティングな体験でした。それから私たちはセーヌ川に架かるデザール橋の上でふたりの永遠 の愛を誓い、その印しに鉄の橋のフェンスに南京錠を掛け、鍵は橋の上からセーヌ川に投げました。パリ旅行から帰ってすぐに私たちは結婚し ました。そしてその幸せの中で私たちはふたりの愛を育て上げたのです。あなたが描いてくれた私たちの絵はその愛をいつも優しく見守ってく れました。
でも、時と共にすべては変わり、 セーヌ川で誓った愛も変わり、私たちは数年前に離婚しました。
デザール橋に掛けた世界中の恋人 たちの愛の南京錠の重みでフェンスが落ち、パリ市は市民の安全を守るため、その南京錠をすべて撤去するとのニュースを聞きました。セーヌ 川に架かる鉄の橋にも恋人たちの愛の誓いは重すぎたのね。鉄の橋でも支えることの出来ない 愛の誓いを生身の私たちが支えることはやはり無理だったのでしょう。私たちが永遠の愛を誓ったことは永遠の事実である、なんて言ってみて も何の慰めにもなりません。
でも心配しないで下さい、私たち は今でもいい友達でいます。
あなたの絵はいつまでも私の大切 な宝物となるでしょう。
ジョナエ
ジョナエさん
メールありがとうございます。
67年前、焼け跡の中で、日本国 民は恒久の平和を念願すると誓いました。
でも今はその念願の重みで国が沈 没するのではないかと国民は怯えています。
国民の安全のために恒久の平和を 念願する印しを断ち切る必要があるとも言っています。
「恒久の平和」の誓いは、最も優 秀な民族と自他共に認める日本国民でも支えることは出来ないのでしょうか?でも今のところ日本は世界のいい友達です。
それが離婚したあなた達の慰めに なるかどうかは分かりませんが、フランス人のように「セ・ラヴィ」と言って生き続けましょう。
ヨザ

与座 英信

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