蔵元絵師は記録カメラマン

蔵元絵師は記録カメラマン
蔵元絵師は記録カメラマン
蔵元絵師は記録カメラマン
蔵元絵師は記録カメラマン
蔵元絵師は記録カメラマン

●デジカメでメモする時代

 メモの代わりにデジカメでパシャリ。それはいまや日常風景。多くの人がカメラ付携帯を持っているからそれはたやすいことだ。そんな現代を最後の蔵元絵師・宮良安宣が知ったらきっと目を回すことだろう。
 蔵元絵師とは琉球王府を現在の県庁だとしたら、八重山支庁の記録カメラマンといったらいいだろうか。歴史的なトピックや地図、風俗などを絵で記録することが仕事の人だ。

●200年の時を超 えた図

 十八、十九世紀の蔵元絵師が描いた画稿集『八重山蔵元絵師画稿集』(石垣市立博物館)には当時の八重山の風俗図が百十四枚収められていて、祭り図や外国人の顔が墨絵で記録されている。
 ページは花鳥図、風俗、織、祭りの構成になっている。織には「機織り女の図」「布晒しの図」があり、地機や作業のようすを理解することができる。織や芸能に携わっている人のいい資料になるだろう。
 中には下書きのような図もあるが、時間をかけてじっくりみていくとすっかり吸い込まれてしまう。描かれている小さな人物がアニメのように動く、そんな錯覚に陥るほどである。特に祭り「弥勒の図」「道踊りの図」に描かれている様子がそうだ。行列には赤子をおんぶした女性や杖をついた老人もいて、老若男女地域をあげてのお祭りだったことが生き生きと伝わる。地域の祭りに関わっている方々におすすめの図だ。

●今も昔ながらの仏壇飾り

 今回取り上げたいのは、目次で「仏壇の飾」と名付けられた一枚の図である。右に「七月祭り」左に「正月元旦」「廟堂」の文字があり、お盆とお正月の仏壇飾りの記録だ。これはぜひ仏壇の供え物を任されている一家の主婦に見ることをおすすめしたい。
 『八重山生活誌』(宮城文)のソーロンのページと併せてみてみるとなお分かりやすいだろう。
 図では仏壇の位牌のある最上段両端にさとうきびを切って束ねたもの、祭壇の供え物に花米、一対の御酒と盃、一対のお茶、香炉などがあり、現在もあまり変っていないことが分かる。
●自らの文化は自らで

 ところでこの画稿は絵師・安宣が染織家・鎌倉芳太郎へ譲ったものが後に石垣市へ寄贈されたものだというが安宣はなぜ鎌倉氏へ手渡したのだろうか。
 喜舎場永珣が八重山蔵元の資料を焼き捨てた当時の役人達の認識不足に、我慢がならないと憤ったという話がよみがえるが、ともあれ資料の価値がわかる鎌倉氏へ託されたおかげで石垣市に戻ってきたのはまちがいないだろう。
 自らの文化は自らが丁寧に取り扱い継承して行かなくてはいけないとこの事例を通して思う。
 普通の生活者が「私は何者か、どこからきたのか」という問いに触れたとき、その答えをさがす一助となる資料を集めたところがなくてはいけない。
 博物館や図書館がそういうところだと思うのだが、それも専門の案内人がたくさんいて機能は発揮される。利用されてはじめて収集された資料は活かされるからだ。

八重山資料研究会 山根 頼子

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