平和を愛する教科書を

 ナーベーラーの真っ黄色の花がまばゆい。見とれていると、つい、石島英文さんの「ヘチマの花」が口をついて出る。
 二番の歌詞は「だんだら坂の小家…」である。こどものころナーベーラーとばかり呼んでいたので、この歌を聞いたとき、儀間比呂志の絵に描かれている土にまみれた逞しい女性像ではなく、竹下夢二が描くパラソルを差したモダンガールが、だんだら坂をのぼって来るように思えた。ナーベーラーが急に垢抜けしてヘチマといわなければならないように急に神々しくもみえた。
 ナーベーラーの語意は宮良當壮の『鍋を洗ふものの義かと云ふ」を踏まえて、池宮正治は「きっと沖縄のナーベーラーは、この、「なべあらい」に指小辞アがついたもの、つまり鍋を洗うものの意であろう」(池宮著「続・沖縄ことばの散歩道」)と述べている。
 たしかに、こどものころ、ヘチマは軽石等と垢すりや鍋洗いに使用されていた。それにしても「鍋洗い」が語源とは…、竹久夢二や中原淳一風の女性像が打ち砕かれてしまった。
 食堂のメニューにもナーベーラーチャンプルー(ヘチマの炒め物)とあった。やっぱり、ヘチマより、ナーベーラーが似合うなと思った。
 石島英文は旧姓喜友名である。元教員。詩人。今年二月、百四歳で亡くなった「ぞうさん」「一年生になったら」の作詞で知られる、詩人まどみちおと交流があった。まどは、石島の詩集に序文を寄せたりもしている。
 石島は戦争中、西表島の船浮要塞に配備され要塞の司令官下永部隊長を称える歌を作詞作曲している。まどみちおも戦争協力詩を二編書いたという。「朝」と「はるかなるこだま」である。まどは、生涯そのことを忸怩たる思いで過ごしていたようだ。
 まどの全集あとがきには次のようなことが書かれているという。
「戦争協力詩を書いたという厳然たる事実は動かせない。(略)昔のあのころの読者であった子供たちにお詫びを言おうにも、もう五十年経っています。懺悔も謝罪も何もかも、あまりに手遅れです。斬愧にたえません。言葉もありません。(略)そして、結局この「はるかなこだま」を公表して、私のインチキぶり世にさらすことで、私を恕していただきたい(略)」
 百四歳にして詩人として戦争に協力したという斬愧の念を持続しているということに、この詩人の責任のとり方に感心する。
 戦争協力詩を書いていながら、戦時中に天皇讃美や兵隊、青少年を鼓舞する詩を書きながら、戦後はその作品を抹消して、臆面もなく詩人だという詩人がゴロゴロしているではないか。
 八重山の教科書問題も決着がついた。この騒動の責任はだれにあるのか。当然、狡猾な手法を用いた玉津石垣市教育長にある。自民党文教族、文部大臣、右派勢力と結託し権謀術数を弄しながらの横暴な振る舞いは目に余るものがある。
 それにしても、安倍政権や玉津教育長等が画策し総力を上げて竹富町への育鵬社版公民科教育の押し付けは完全に破綻した。自民党、文科省、玉津教育長は完敗したのである。「竹富町には教科書の比較研究ができる教員がいない」などという議員にいたっては笑止千万。負け惜しみといえる。調査報告書を無視したからこそ問題になったのだ。
戦争の記憶を抹殺し、誇りの持てる美しい日本、積極的平和主義、自衛隊配備、ネオナショナリズム自民党の手先が玉津石垣市教育長といえる。
 ところで、八重山教科書採択地区協議会の学識経験者である徳松信男委員は「石垣市は日本の国境の最前線にあり、その存在さえも脅かされている。反戦平和や9条を叫んだり、核廃絶平和宣言都市宣言決議や非核平和都市宣言碑を建設してみても相手に通じるわけがありません(略)」(14年4月11日「八重山日報」)と決議や碑に込められた平和を軽く否定している。中山市長、玉津教育長、石垣市核廃絶平和宣言決議の大浜博文起草委員等はどう思うか。そんな人が選んだ教科書で孫たちが、公民になるのかと思えば身震いする。
 石島英文やまどみちおのように生涯、苦しまないためにも協議会は平和を愛する教科書を採択すべきだ。

大田 静男

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