死者は何処へ行くのか

 民俗学者谷川健一は日本人の死後の世界は常世にあると論じた。常世は海上の彼方にあり、他界は生活圏から遠くない処にあると述べている。
「グショーヤアマダルヌシタンガドゥアル」(後生は廂の下にある)という諺がある。死者たちの霊はいつも家族と一緒にあった。しかし、近代日本では「国家が兵士の死後も身体と霊魂の双方を支配・統制下においておくことを志向した(略)」(波平美恵子「兵士の遺体と兵士の遺霊」)。
 なぜか。天皇国家体制護持のためにである。歴史学者の大江志乃夫は近代天皇制における二つの性格について「宗教的には、『神』であることと温情溢れる『家父』であること、政治的には権力国家の超越的支配者であることと共同態国家の日常生活的支配者であること、この背反しあう秩序原理をもみごとに統一したイデオロギー制度が近代天皇制イデオロギーとその制度であり、その骨幹をなすのが国家神道であった」(『靖国神社』)と記している。
 大江によれば、神島二郎は天皇陛下を国民の父とする国家家族観への、突破口として徴兵制度と靖国神社をあげている。
 戦陣訓は「屍を戦野に晒すは固より軍人の覚悟なり、縦ひ遺骨の還らざるあることあるも敢て意とせさる様予て家人に含め置くべし」(カナをひらがなに直した)としたが、このようなことは日本人の死者に対する観念から到底容認できるものではなかった。
 ひとは、家族に看取られて死ぬのを大往生といい「若死にしたもの、怪我や自殺や海難事故等で不慮の事故をとげたものは、もっとも忌むべき死者として冷ややかにとりあつかわれた」(谷川健一著『民俗の思想』)。不幸な死を遂げたものは神になれず、悪霊としてひとびとを妨害した。そうした者たちに対して、八重山ではヌギファや龍宮祭を行った。
 戦死者は異常な死であり、不幸な死である。国家はそんな者のために、白木箱に砂や石を入れ家族のもとに届けるという演出をした。
「遺体の多くは遺族の元には戻らなかった時、戦争続行の中で日本政府はそして軍部は前述のように、日本人の伝統的な遺体についての観念に添いつつ、巧妙な言説によってひとびとの遺体に対する認識をあえて変えようとはせずに、遺体が持つ『霊魂の物象化』とでもいうべき面を強調したうえで、さらには霊魂の存在の価値を強調し、具体的な遺体や遺骨が遺族の手元に届かないことへの不満を抑えたと解釈することができる。こうした価値を高められた兵士の霊魂はさらに神格化され、靖国神社に祀られることにより、霊魂における一般人との差違を鮮明にしたうえで国家の統制下に組み入れられたと解釈できる」(波平・前掲)。
「名誉の戦死」「国華」「英霊」などと持ち上げ、「九段の母」という歌謡にみられるような遺族感情を巧みに利用しながら靖国神社に祀り「魂」を管理するように転換していったといえる。
 敗戦後、祭祀主体が国家から宗教法人靖国神社に移行して、いまなお兵士たちの「魂」が解放されないのはなぜか。さらに、首相をはじめ閣僚たちは憲法違反と言われながらも、平然と参拝するのはなぜか。
 閣僚たちは国家権力の暴力装置として戦死者たちの「魂」を讃えることによって、国家権力を維持するという近代国家の兵士に対する戦死観があるからだ。戦後、一宗教法人でしかない靖国神社も戦死者の祭祀を行ってもいいだろう。しかし、神道の教義を楯に〈魂の返還〉を求める人たちの要求を拒むのはいかがなものだろうか。
 なぜなら、廃案となった「靖国神社法案」がめざした「国家管理の神社」ではないのだ。戦死者は、国家によって殺されたのであり、宗教法人のために死んだのではない。
 自民党憲法改正案には「国及び公共団体は社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を越える宗教教育その他の宗教的活動であって  …」というのがある。当然、靖国神社参拝の正当化である。神道の国家公認の時代がくれば、他宗教の弾圧は当然だろう。
「イーパイヤ フタ―ズタティナ」(位牌を二つ立ててはならない)という諺がある。
 位牌を二つたて祀ったら仏の魂が迷い、やがては、子孫に災いをもたらすというのである。
 位牌が二つもあるという時代は異常だ。仏壇の一つでいい。

大田 静男

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