子どものころから近所の人たちの手伝いをしたり、人のために尽くしてきた」と話す秀子さん。当時島にはお店も少なく、お年寄りに代わって買い物に行ったりすることで、そのお礼にくだものやパン、芋などをもらっていたそうだ。高校を卒業後は台湾に渡り料理を学んだ。戦後石垣島に戻ってきてからは、八重山農林高校の寮で生徒たちのために、食事の世話をはじめいろいろな手伝いをしていたのだという。「今でも当時の生徒たちに道で会うことがあります。その時は昔の恩返しだといって、荷物を持ってくれたり、車で送ってくれるんですよ」と嬉しそうに笑う。誰かのために一生懸命になること。それが105歳になる今でも楽しく暮らす、秀子さんの元気の秘訣だ。