クロトンの葉が美しい。タイヨウセイ、月の女神、オウゴンベッコウ、茶葉、流星、サンゴベッコウなど赤や黄、緑の色彩が輝いている。クロトンはインドネシアやオーストラリア等原産の熱帯植物である。沖縄には明治の頃に導入されたというが、ハワイ、台湾、グァム、本土がおもな導入先という。
幼いころのクロトンの記憶は、飛び葉、雉の尾、流星などという地味な色のクロトンで、仏壇や墓の活花、葬式の供花としても使用されていたためであろう、暗いイメージしかない。それが、一九七〇年代のクロトンブームのころには、大葉系や鉾葉系など色彩豊かなクロトンが次々と登場し目を楽しませた。
僕もブームに乗って、石垣をはじめ、沖縄本島中部をめぐってクロトンを一六〇種くらい集めた。庭中クロトンだらけであった。台湾引き上げの叔父によれば、台湾総督府周辺にはクロトンが植栽として植えられ、十月頃になると、色鮮やかであったという。わが家の庭も色鮮やかであった。
そんなクロトン熱も、引越しを繰り返すうちに、植える場所がなく、わずか数本になった。そんな事情もあり冷めてしまった。
緑の木々のなかに派手なアロハシャツを着て「こちらを向いて」と自己主張をしているようなクロトンを見ながら朝露を踏んで散歩に出かけた。
ぴーんと張り詰め澄んだ空気がここちよい。
二期作の稲の葉に露がキラキラ輝いている。ハスの葉の露も風情があるが、集団の露は、また一味ちがってあじわい深い。
水田の一部が空いている。カモが降りて泳ぎ回ったせいだろうか、それともジャンボタニシに苗を喰われてしまったためだろうか。台風、大風、鳥害、虫害、稲作は収穫するまで気が休まることがない。
あぜ道にハクセキレイが尾を上下に振りながら俺について来いと盛んに促している。ツバメが空を切り、白鷺が翔ち、シギが泥に嘴を入れて漁っている。ムラサキサギが長い首をさらに伸ばして辺りを警戒し、草むらから雉が突然飛び出して驚かす。
葦(ヨシ?)の銀花がひらいている。尾花は台風でやられたのか、箒のように穂先が突っ立っている。小川のせせらぎに耳をすます。やがて、ツナンカン(毛ガニ)も山から下りて来るだろう。
朝もやのなかに観る於茂登連山が神神しい。身も心も洗われて帰る。
帰ればやはり俗世界。さっそく電話が鳴り、石垣市の玉津教育長が議会で「沖縄の平和教育は、戦争の悲惨さを強調する教育になっている。その弊害は、戦争に対する嫌悪感から派生する思考停止といえる」と言ったというが知っているか?と憤慨している。一瞬、腹腸が煮えくりかえった。沖縄戦、八重山の戦争マラリアの悲惨さはいくら強調しても足りないくらいだ。戦争になれば〈死ぬ〉という嫌悪感は当然だろう。
玉津教育長は「平和教育は私自身も深く関わった。悲惨さを強調するものから工夫改善は絶対必要」(「沖縄タイムス」9月26日)と述べている。では、自ら携わった平和教育をどのように工夫改善したから他人に思考停止といえるのか。
彼はいう「平和教育を否定しているのではない。平和をどう維持するか、戦争をどう防げばいいかという観点に立った平和教育を実現したい」(「八重山日報」9月26日)。
嗤っちゃうね。思惑スケスケ、まる見えではないか。権力のいいなりになる公民に仕立てる教科書採択を若さ?に似合わず老獪狡猾な手法で成立させた彼のめざす平和教育なるものが。平和教育とは無縁の時代逆行、思考停止は玉津教育長だろう。
市議会で不信任案が可決される。ことの発端は砥板芳行議員が小学生の書いた「天皇陛下のために尊い命を犠牲にしてまで天国に行った人たちがかわいそうだ」を取り上げたことに始まる。
砥板は指導要領にある天皇の取り扱いを配慮した上で、「3年生に昭和天皇に対する正しい知識はないと思う。アジア太平洋戦争での天皇の役割については学者間で論議がある。バランスに配慮した指導を行うべきだ」と述べている。
アジア太平洋戦争を語る時に昭和天皇を抜きに語ることはできないはずだ。三種の神器死守と共産化を恐れ国体護持のために、領土や国民兵士を他国へ売り渡したのはだれであったか。
例えばそんな話を教師がして、なにが問題か。天皇のために「尊い命を犠牲にしてまで天国に行ったひとたちがかわいそうだ」と書いた小学生の素直な感想こそ尊い。分からぬのは曇った目で歴史を見る議員や時代を逆流させようという教育長であろう。