「主権回復の日」?

 うッわー、安倍さん云ってくれるね。サンフランシスコ講和条約発効した日を「主権回復の日」として政府式典をなさるとは。イヤー、天皇制国家国民万歳。
 主権回復の日制定は自民党の議員が2011年に「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」を設立し、その日を主権回復記念日と定め、政府主催の記念行事を毎年開催するよう働きかけていくとしていた。また、昨年の衆議院選挙の際、自民党の政策に記されていたという。それを実行に移すというわけだ。
 安倍首相は衆議院で、西銘恒三郎議員の質問に「式典にあたっては小笠原、奄美、沖縄が戦後の一定期間、わが国の施政権の外に置かれたという苦難の歴史を忘れてはならない」「苦難を耐え抜いた先人の心情に思いをいたし、沖縄の抱える基地負担軽減に取り組む。小笠原、奄美、沖縄を含めたわが国の未来を切り開く決意を新たにする」(「沖縄タイムス」3月12日)と述べている。
 「苦難の歴史を忘れてはならない」? 安倍は何をして苦難の歴史と指しているのか。
 さらに「苦難に耐え抜いた先人に心情を思いいたし」だって? 何からの苦難ですか? 誰への思いやりですか? 主語が抜けていますよ。主語が。
 講和条約で主権は回復したんですか。本気でそう思われているのですか。冗談でしょう。でも、一国の首相が衆議院予算委員会で答弁しているので正気だよね。
 講和条約によって南西諸島は「アメリカ合衆国の信託統治」とされ、日本国家から切り捨てられ米軍占領の無法地帯とされた。孫崎享によれば、講和条約を結ぶにあたって米国のダレス長官が示した条件は「日本国内にわれわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」方針であり、「その後(講和以後―筆者)どうなったでしょうか。答えは今でも変わっていないのです」(孫崎著『戦後史の正体』)。
 孫崎の指摘を待つまでもなく、目取真俊のいうように沖縄は今も戦後0年で、戦場と変わらない状態にあるのは誰も知っていることだ。国家権力にとって権力が維持できれば国民や領土はどうでもいいのです。日本国家にとって沖縄などどうでもいいのは明白ではないか。
 明治政府は、琉球処分で沖縄を併合し、翌年には沖縄県を解体し先島を中国へ割譲する交渉をし、批准寸前まで行った。これは清国の都合で締結されなかった。
 一九四五年太平洋戦争末期、国体護持のために天皇は近衛文麿を特使としてソ連へ派遣し、連合国との和平工作を依頼する方針であった。「天皇をはじめ重臣や、政府、軍部首脳がここで考えた和平条件は、天皇の国体さえ護持できるなら、(中略)朝鮮や満州だけでなく、千島列島や南樺太も、さらにそこに住む同胞も兵士すべて放棄して構わないという内容だ。(略)天皇制の国体護持を絶対条件として、それが確約されるなら、すべてを犠牲にする『棄兵・棄民』政策の身勝手な論理が冷徹に貫かれていた」(白井久也著『シベリア抑留記』)。放棄する領土のなかには当然、沖縄や小笠原等も含まれていた。結局この工作もソ連の都合でテーブルに着けず案で終わった。
 米軍の長期沖縄占領を希望した一九四七年の天皇メッセージも国体護持が出来れば沖縄などどうでもいいということであった。
 天皇や支配層は天皇制国家が護持ができれば、というが棄民とされた「民や兵はたまったものではない」(前掲・白井)というのは当然だ。沖縄での米軍の無法状態を容認して来たのはニッポン国家であり、自民党や経済界であった。米国の掌で踊る阿呆に見る阿呆を演じていながら、主権回復記念日など嗤うべきであろう。
 歴史を扼殺し、歪曲する下村文部大臣や、義家政務次官=ヤンキー先生が竹富町教育委員会に育鵬社教科書を使用するよう圧力を加えるなど攻勢がなされている。
 そんななか琉球大学教授で歴史学者の高良倉吉が沖縄県副知事に就任するという。沖縄イニシアチブ論者の登場である。日米安保体制を高く評価して来た高良は沖縄(琉球)史研究者として、日本や中国とどう向き合うか。「過去の歴史を学ぶことは現在を理解するため」であろう。じっくりとそのお手並みを拝見したい。
 原稿を書いている最中(3月13日)に中国が尖閣諸島上に測量隊を派遣し、測量のため標識を建設する予定であると時事通信が報じている。海上保安庁巡視船との摩擦も懸念されるとも書いている。当然だろう。いよいよ八重山は戦場となる危険性が一層高まった。
 くり返すが、国家権力にとって、領土や国民など護る必要性はまったくない。軍隊は権力の暴力装置でしかない。戦争が始まれば犠牲になるのは民でしかない。民よ反戦平和を叫ぶべし。国家の防人などなる必要はない。赤っ恥で、嗤うべき主権回復の日から見えて来るのはそういうことだ。

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