断絶

 石垣市街地の後方に連なる山々の新緑が増しているなかバンナ公園の散策に出かける。
 つわぶきの黄花やシタマ(エゴの木)の純白の五弁の花が咲きこぼれている。
 桜は蕾である。今年は山の桜より里の桜のほうが開花が早いらしい。
 石垣島地方気象台の生物季節観測によれば、一月二二日満開とある。昨年は一二月だっただけに遅れているといえる。樹のなかで三、四輪花が咲けば開花、八〇㌫で満開宣言となるという。桜の観測樹はどの地域にあるのだろうか。戦後の一時期は桃林寺の桜であったという。
 天然記念物に指定されている荒川のカンヒサクラも開花していないという。昨年の台風の影響かもしれない。大樹が倒れているという。残念。
 さて、〈後方の山々〉は、ほとんどがバンナ岳や前勢岳と記される。バンナ森林公園というから無理もない。しかし、バンナ岳というのは前山連山のひと山にしか過ぎない。
 フファ山、タキヌ頂、バンナ山、マユ端、マユ底、大川山(タラマンニー)、ムイバガ山、チィカ岳、県道浅田線を隔てて、ウーソー山、外山田越地、前勢岳へと連なるのである。
 蝶や蜻蛉、蟹を追ったカーラフタージェーや、トゥンタカのサッターカーラには階段がなく降りる事が出来ない。車道から眺めるだけだ。
 豚の餌のムージィを刈りたナカハギダー(中禿田)は今や森林組合の駐車場である。
 街を見下ろしながら、だらだらと坂を下るとハナヌメーである。汗ばんだ肌に風が心地よい。
 川、田、原、道。車で一瞬にして通り過ぎる地はかつて、ひとびとの生活と密接に関わっていた。世の中がかわり、生活様式も違い、地名は翁や媼たちの歯が欠けるように記憶から失われ、やがて消滅して行く…。なんとも寂しいことである。
 前山連山を見ながら代かきをする。土が粉のような状態になるまで耕やす。すると土から油状の液が出て来る。ジィーヌアバ(地の油)という。
 機械のない昔はこのような状態にまで、代かきするのは大変であったであろう。
 アローナ(荒ごなし)マトーナ(二度ごなし)までは普通で、シトーナ?(三度ごなし)までする百姓はマイフナーとして褒め称えられたとキーパイ(木鍬)で田を打った老翁から聞かされた。
 代かきを終え水を張った夜明け前の田に下弦の月が揺れている。誓願寺の鐘を聞きながら畔道に佇むとまるで奈良や京都にいるような風情になる。
 田植えもまぢかだ。かつてユイ(結い・共同作業)やバフ(雇用しての作業)で泥まみれになりながら行った田植えも、今では田植え機であっという間である。苗作りもJAで済ます。伝統技法は、ここではまったく通用しない。
 そんな断絶した社会が経済のみならず、政治の世界まで覆い被さっている。
 昨年の衆議院選挙で、自民党や公明党、その亜流でしかない維新の会やみんなの党などが大勝した。圧倒的な数をもって、憲法改正(あるいは解釈)、河野談話の見直し、自衛隊法改正、集団的自衛権行使、尖閣への公務員常駐などと安倍総理大臣は叫んでいる。中国の軍事力強化に対応するため日米軍事同盟を強化するとも述べている。日米軍事同盟強化がただちに沖縄の基地強化につながることは明らかである。国防費の増加は避けられないだろう。
 さて、今や中国は漁業監視船のみならず、飛行機を尖閣諸島上空に飛ばし、台湾漁民を巻き込んで活動を活発化させている。八重山近海は一触即発、戦場への重大な危機に直面しているのである。八重山は戦争反対の声を大にして叫ぶべしである。
 なのに、八重山の首長や議会は尖閣諸島に施設をつくるだの自衛隊配備だの狂気の沙汰と言うしかない言動を繰り返している。大和の愚かな政治屋に騙されて、八重山が戦場とされてはたまったものではない。
 沖縄県下の全首長が参加したオスプレイ反対の銀座デモに「中国によって操作されていると大量の罵声が浴びせられ、驚愕。普通の市民が日の丸の旗を振りながら『非国民』と絶叫した。」(平山鉄太郎ツイート)という。中国を訪問した鳩山前首相が尖閣諸島領土問題を係争地であるとの発言に小野寺五典防衛相が国賊ということばが一瞬の脳裏をよぎったと批判している。
 平和を求める声は非国民であり、国賊と罵倒され糾弾される暗黒時代に突入した。沖縄と大和のこころは断絶した。いやもともと断絶していたのが蘇っただけであろう。私たちは再び日本の国益のために犠牲にされぬ道を模索すべきだろう。
 こんな時期に沖縄独立を訴え続けてきた畏友真久田正が急死した。残念。合掌。

大田 静男

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