風邪と刺身とソバと御領地

 風邪で家に閉じこもってゴロゴロしていた。好きな酒もすすまないし、マグロの刺身を喰っても旨いと思わない。長旅でくたびれ、だらんとしているマグロの刺身ほどグロテスクで不味いものはないと思う。七つの海をさっそうと駆けまわるイケメン?の末路が貧しいわが家の食卓であることに、なぜかすまない気がする。
 それにしても、最近の八重山のさしみ店やスーパーの刺身はマグロだらけである。
 いつからマグロが刺身の主役に躍り出たのだろうか。冷蔵庫が普及し、公設市場から締め出されたアンマーたちが、刺身店を構え、スーパーマーケットが出現した一九八〇年代ころからであろう。
 それに反比例?して、イノーや近海のなじみの深かった魚たちは店頭から追放?された。
 マグロ、カツオは高級魚、エーグワーその他は雑漁というらしい。
 テレビでマグロの刺身がひと切れ何万円ですなんていっているのを観ると、貧乏性の僕は、つい「フタキシ フォーッカーキナイヤ トーリン」(二片喰えば家庭は崩壊じゃ)とおもってしまう。
 高級よりも低級のチヌマン、アシキンがいいね~。イラブチャー、アーガイ、タマン、ミミジャー、クチナギ、ハマサキヌウクサン、それにヨシナガサヨリさん?からイシカワサヨリサン、ボラ、それに県魚のグルクン。
 忘れちゃいけね~アカジン、ハダラーにミジュン。思いだすだけでもヨダレがでてくる。生唾ゴックンである。
「身が引き締まった刺身が喰いたい」と、妻にいったら「自分で獲って来たら」とつれない返事。コッタル、刺身を喰わぬ薄情者めと思う。
 それにしてもこの風邪なかなか治らない。
 あ~子供の頃、年寄が言っていましたスバを食べたら風邪はすぐ治ると。
「沖縄そば」という幟の立つ食堂へ入る。
「すば」が「そば」となり「八重山そば」、「沖縄そば」と呼び名が変わって行く。つい吉本隆明の共同幻想論が頭をよぎる。
 自己幻想「すば」が対幻想の「そば」となり共同幻想の「沖縄そば」となる。
 なーんちゃって。ひとり笑い。
 ソバを食べたらなぜか、鼻から息が自由にできる。「弥勒世果報や近くなたさ」なんて鼻歌も出る。いい気分だ。
 天気もいいし、ドライブとしゃれこんだ。屋良部林道を行く。台風で木々が倒れ、葉や枝が吹き飛ばされ視界が広がる。アサシィ(クラガネモチ)に赤い実がたくさんついている。シイの実は見えない。カシの実は落ちていた。大嵩を経てヤマバレーでひと休み。
 カンヒザクラの被害はどうであろうか。それにしても、松が増えすぎ、やがてサクラは松に追いやられるのではないか。
 明治の頃この周辺は松の巨木で昼なお暗い処であった。その松はほとんどが、奈良原繁沖縄県知事のころに払い下げされ姿を消した。
 琉球王と称された奈良原沖縄県知事ほど、大和の政商や閥族に土地払い下げした者はいないだろう。杣山処分や開墾で反対する謝花昇らを弾圧したのは有名だ。奈良原に関する次のような文書が那覇市歴史博物館の横内家文書に残されている。

沖縄縣那覇區久茂地二千百二十五番地寄留
 奈良原繁
明治四十一年二月二十八日付
八重山郡石垣外一村字名蔵外三国有林野拂下願ノ件
許可ス
 但シ明治四十一年三月二十四 日限り別紙請書ヲ八重山島廰 ヲ経テ差出スヘシ
明治四十一年三月六日
   沖縄縣知事男爵奈良原繁

 これは名蔵浦田原の公有林一〇三町歩余のことで、奈良原個人が申請し、知事奈良原が許可をしている。奈良原の任期は明治四十一年四月六日であるから、まさに喰い逃げ許可である。
 ヤマバレーの松をめぐっては、二条侯爵家救済を名目とした払い下げに園田安賢男爵らが暗躍した一大詐欺事件も起きている。
 八重山人の「やさしさ」を逆手取った事件だ。
「スバ」が「ソバ」となり「沖縄そば」と呼ぶとき沖縄からの同化とヤマトの魔物がうごめいている。
「チンダラサー キムヤンサー」(ああ心が痛い)咳も出てきた。モー帰ろう。

大田 静男

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