巨樹・巨木との遭遇(21)ヤエヤマコクタン

巨樹・巨木との遭遇(21)ヤエヤマコクタン
巨樹・巨木との遭遇(21)ヤエヤマコクタン

波照間島のシムスケー(古井戸)の西隣で遭遇したヤエヤマコクタン(カキノキ科)です。胸高の幹回り2メートル10センチ、樹高約5メートルの堂々の巨木です。正確な樹齢は不明ですが、その堂々の幹回りから推測すると、優に100年は超えている巨木であると考えます。
 和名・ヤエヤマコクタン(別名・リュウキュウコクタン)は、沖縄県では方言名のクロキまたはクルチが一般的です。黒褐色をした樹皮がその由来のようです。沖縄本島・八重山列島・中国南部・マレーシア・ミクロネシア・インドなどの熱帯・亜熱帯に広く分布しています。成長が遅い常緑の中高木で、固い材質が特徴です。そのため、幹の中心部分の心材は三線の材料(棹)として早くから重宝されてきました。また、盆栽・庭木・家具・器具・記念木・街路樹など、多様な用途の有用樹木でもあります。
 ヤエヤマコクタンは、昭和52年に石垣市の「市木」として選定されました。その理由は、「高木で樹勢強健、土質を選ぶことなく岩石の多い乾燥地にも耐え、風潮害にも強く、枝葉の分岐が多く諸種の樹形に仕立てることも可能である」、「強健でたくましい成長力は、将来の石垣市を象徴するにふさわしい樹木と思料される」とされています。
 また、昔は旧盆の三日間、仏前に供える果物類の一つとして、欠くことのできないヤエヤマコクタンの実でした。昨今は、島外産のメロン・バナナ・リンゴ・オレンジ・ブドウ等が主流ですが、生活物資の移出入が皆無に等しかった遠い昔、アダン・バンジロー・シークァサー等の実とともに仏前に供えました。
 今回は、波照間島で遭遇した巨木・ヤエヤマコクタンです。冒頭に述べたシムスケーは、伝シムス村の下り井戸(ウリカー)で、昭和47年に竹富町の文化財・史跡として指定されました。

松島 昭司

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