世の中アッベーと驚くことばかり

 あの、職場放棄同然に総理大臣を辞職した、安倍晋三が自民党の総裁に帰り咲き、次の総理大臣を狙うという。沖縄県民が反対する中、オスプレを強行配備した、米国の日本州知事ともいうべき野田は依然として総理の座に居座っている。
 ところで、尖閣諸島領土問題で、日中対立を激化させ、十月に逮捕覚悟で尖閣諸島に上陸するなどと、大口をたたいていた石原東京都知事は何故上陸しないか。「ムニィヤダードゥ イズダル」(嘘も方便)とでもいうのだろうか。
 そういえば、最近マスコミに登場しないなと思っていたら、八重山日報論説委員長という、元海上自衛官で「戦争中日本軍は命がけで沖縄県民を守った」(ウィキペディア)という軍隊讃美、憲法改正論者の拓殖大学客員教授惠隆之助氏のインタビューに答えて、八重山のひとへというメッセージを寄せている。石原氏はいう。「沖縄が日本の一部で本当によかった。私は、日本を中国に奪われたチベットにしたくない。そのためなら、ある程度、経済的な利益を失ってもいいじゃないか」(「八重山日報」9月23日号)と。何故、沖縄が日本の一部でよかったのか。「日本を中国に奪われたチベットにしたくない?」それをいうなら、「日本を米国に奪われた沖縄にしたいでしょう」であるはずだ。
 沖縄に基地を押し付け、その基地を強化している米国に石原氏は異議申し立てしたことがあるだろうか。主権の及ばない聖域である軍事基地の撤去を米国に向かって啖呵を切ったことがあるだろうか。あるわけがない。できるわけがない。米国の手先でしかない石原氏が「沖縄が日本の一部でよかった」というのは、沖縄を捨て石にし、犠牲を強いた日本帝国の軍人や官僚たちと何も変わらない。災いが本土に及ばないということだ。「ヤフヤ カーマヌ ウキィナーカイオーリトーリ」(災厄は彼方の沖縄に行って下さい)というのだろう。虫送りと同じである。
 こんな発想はなにも今に限ったことではない。第二次世界大戦が終わりに近づいていた頃、天皇陛下は、近衛文麿を特使としてソ連に派遣し、連合国との和平交渉の仲介役を依頼する方針であった。その「和平交渉の要綱」は国体護持(天皇制)ができれば、「固有本土の解釈については、最下限沖縄、小笠原、樺太を捨て千島は南部を保有するていどとすること」と記している。つまり、天皇制国家体制が維持できれば、沖縄は棄ててもいいと明記しているのである。戦争が終わり、1947年9月、駐日政治顧問部W・Jシーボルトを訪ねた寺崎英成は「日本国天皇は、米国が沖縄、その他の琉球諸島に対する軍事支配を続けるよう希望している」(「日本史資料」現代5)といういわゆる昭和天皇の沖縄に関するメッセージを述べている。
 明治13年の清国への宮古・八重山割譲案を含めると、三度も沖縄は日本国家から切り離されそうになったのである。あるときは国益のため、ある時は天皇制維持のためにである。そして、一九五一年のサンフランシスコ対日講和条約によって、米国の占領支配下に置かれたのである。このように、沖縄は神聖な〈日本固有〉の領土ではないのだ。沖縄県八重山郡登野城村に属する尖閣諸島も当然、日本固有の領土とはみなしていない。
 固有領土? バッカイシャネーナーユー、ウキナーカーシィホイッテー ユーアンクソー(恥もなく、沖縄を売って食って良く言えるね)。石油や天然ガス出たから中国や台湾がワッタームン(我が物)と言いだしたというが、日本とて大差はない。いや、もっとたちが悪い。平然と〈同胞売却〉をするもんね。そんなこと育鵬社版公民教科書は教えますかね。教育長様。
 ういかいぬぶりゃーがらすんどぅほー なかかいなりゃーぴとぅぬどぅとる しぃたかいうりりゃーあーらんどぅふぉー あがやー ばなーのーどぅすーさんさんさん「上の方へ止まったらカラスに喰われる。中に止まったら人にとられる。下に降りたら蟻に喰われる」(八重山のわらべうた セミ)。
 沖縄はセミのようにどこに転んでも地獄である。石原氏のような「ヤマトゥピトゥカイグンクルマーサレー、ドゥアワリスナ」(大和人にかき乱されて自分で苦労するな)。尖閣?ターシィタガー(我関せず)。

大田 静男

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