視線

 宮内庁三の丸尚蔵館で「内国勧業博覧会―明治美術の幕開け」
という展示会をみた。展示会のチラシには「我が国の近代化推進に大きな役割を果たした国家的事業のひとつに、全国各地で開催された展覧会があります。中でも明治時代に5度にわたって開催された内国勧業博覧会は、その名称の通り国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目の育成を目的とした、政府主導による博覧会でした。明治天皇を始め皇室の方々も、これらの博覧会へお出ましになり、国内産業の奨励に努められました。(以下略)」とある。
 博覧会といえば、一九〇三年、大阪で開催された第五回博覧会において沖縄人やアイヌ、台湾人他を動物のように展示したいわゆる人類館事件が起きている。
 松田京子によれば、第五回博覧会はこれ以前の博覧会とは違い、一八九四年から九五年の日清戦争に勝利し、台湾を植民地とした。西欧列強との不平等条約の一部改正、一九〇〇年の義和団の事件に西欧列強と一緒に派兵。一九〇二年にはイギリスと同盟関係を結ぶことによって「日本は第一等国民になったのだという認識が日本の社会中にひろがっていく。そういう意味では、その後の歴史の展開を規定していくような、アジア諸国に対いする膨張主義を基調とした『帝国』としての日本の姿が、明確に立ち現われて来る―このことが、第五回内国博が開かれた世紀転換期という時期の特徴だといえます」(人類館事件が投げかける現在的問題)という。
「学術人類館」というパビリオンに「アイヌ」、「台湾生蕃」、「琉球」、「インド」、「ジャワ」、「バルガリー(インドの一部)」の人たちが展示された。清国朝鮮人の展示はそれぞれの国から抗議があり、外交問題に発展することをおそれて取り消された。
 会場ではそれぞれの人種を紹介するのに「鞭を以って差し此奴は云々との口上振り誰が聞いても軽蔑の口調にて御地の埋地にある虎や猿の観世物と異なる所これなく候(略)学術人類館と云へ如何にも立派だが、其実際は世人の好奇心に投する観世物的陳列に過ぎず(以下略)」(「琉球新報」一九〇三年四月七日)と報じている。
 日本人は一等国民であり、動物のように鞭で指さされ展示されている者は弾圧によって併合されたり、植民地にされた劣等国民である。こういう思い上がりがアジア侵略を許容し、後に大東亜共栄圏に君臨する一等国民日本人の思想となり血と死臭の匂いを漂わせる徒花として無残にも打ち砕かれることになる。
 沖縄側からの激しい抗議で琉球婦人の展示は中止されるのだが、沖縄の新聞は「台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本縣人を撰みたるは是れ我れを生蕃アイヌ視したるものなり我に對する侮辱」(琉球新報一九〇三年四月十一日)と報じている。これは差別の根源を撃つのではなく台湾人、アイヌと同等にされたことへの抗議であり、彼らへの逆差別でしかない。
 沖縄人のヤマトへの同化とそれによる他者への差別意識がこの論調には明確に示されている。
 このような逆差別の視線は今日も沖縄人のなかに脈々と流れているのを見る事ができる。尚藏館の展示会にもちろんそれを伺わせるものはない。
 一八五一年ロンドンで世界初めての万博が開催され、パリ、ウィーンと次々開催されて行ったが、これは植民地博覧会でしかなかった。一九三一年パリ万博で強制的に参加させられたニューカレドニアの先住民カナックたちは、動物園で展示され、やがて、サーカスで食人種としてヨーロッパ人の好奇にさらされたという。ディディエ・デナンクス著『カニバル(食人種)』はそれを題材にした小説である。西欧列強の後追いをした日本は生身の人間を展示するという愚かなことも後追いしたのである。緑のまばゆい三の丸公園を散策しながら、人類館事件から「現代の沖縄人が学ぶべきは、沖縄人が日本人と同じ視線を持つことの危険性なのである。日本人がよろこぶことは沖縄人にとって危険な誘惑であり、沖縄に『癒しの島』を見る日本人の視線は危険である。沖縄に基地があることを当たり前と見る日本人の視線は危険であり、日本に基地がないことを当たり前と見る日本人の視線はそれ以上に危険である。なぜなら日本人の見たいものだけを見るという人類館の差別的視線と同一だからだ。したがって、日本人の視線と闘い、沖縄人自身の視線で日本人を射ぬいていかないかぎり、沖縄人の解放もありえないのである」(野村浩也「人類館事件と同化への誘惑」)をかみしめた。

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