西表島東部の大原・大富・豊原の三集落の全世帯に一九六二年(昭和三七)七月二十四日、“文化の光”が灯った。「農漁村電気導入促進法」に基づく電気施設の完成で、合同祝賀会は十月十六日に行われ、集落を挙げて沸き上がった。併せて大原診療所、大原巡査駐在所、大原中学校校舎の合計四つの完成を祝う歴史的な合同落成式典がゼイコブス弁務官代理、東地方庁長、崎田永起竹富町長が出席して催された。
大原・大富・豊原の三集落は戦後の移民集落(大原だけ一九四一年入植)。大原は一九四一年(同十六)、新城島からの移り住み、大富は一九五二年(同二十七)に竹富島や大宜味村などからの移住者、豊原は一九五三年(同二十八)、竹富島、波照間島などから移住し、荒地を開拓して生活の糧を得ていた。このなかで電気、水道などのインフラ整備は欠かせなかった。住民らは電気設備の設置を求めていた。時を経て電気などの施設が完備するのは入植から約十年目だった。
集落は電気施設などが完成すると、お祭り気分になり、大いに沸いた。完成式典のほかに祝賀会で最高潮だったのは、余興で盛り上がったラジオ沖縄(ROK)の部落対抗祝賀素人のど自慢大会。司会は同局の中島アナウンサー。当日は公開録音で、初めてラジオから自分の地声が流れるとあって、緊張のなかにも興奮は隠せなかった。のど自慢大会では、当時の流行歌や民謡などが飛び出し、中島アナウンサーと出演者との間で言葉の軽妙なやりとりが、会場を笑いの渦に包み込んだ。素人のど自慢大会のほかに、ラジオ沖縄は崎田町長、部落有志らと西表島産業開発への現地懇談会を開催。現地住民の生の声を電波に乗せて県内に流した。
当時の安里正一設立委員長は、電気施設の完成に「大原、大富、豊原の三部落住民の長年の宿望だった電気がここに琉球政府、高等弁務官をはじめ関係者のご尽力によって実現をみることができ、喜びに堪えません。長いランプ生活から文化の光である、電灯の恩恵に浴することができ、われわれ住民は一層頑張る覚悟でいます。関係者
に対し心から感謝申し上げます」
と述べている。
ちなみに、発電機はヤンマーディーゼルの出力三十キロワット。大原診療所は建坪二十坪の瓦葺き。大原巡査駐在所は十三坪コンクリート。大原中学校一教室は去る五月それぞれ落成した。