プロフィール
1940年、小浜島に生まれる。16歳でデビュー。1972年の沖縄が本土復帰まで、米軍基地のクラブでフルオーケストラをバックに活躍。復帰の年、那覇にジャズスポット「インタリュード」をオープン。アルバム「イントロデュージング(1983年)」「ウィズ・マル(1984年)」「DUO(1985年)」「インタリュード(2005年)」を発表。そのほかTVや映画にも出演しその個性を発揮する。
6月8日、美崎町のライブハウス「CITY JACK」にて、与世山澄子さんのジャズを大勢の観客と堪能した。今回のライブは、沖縄ジャズを体現した彼女とピアノの香村英史さんとのデュオ形式であった。
全身でスウィングする与世山さんに、私たちの心も解き放たれ、1曲1曲の物語に誘われた心地がした。また、スタンダードナンバーを中心に構成されたライブだけに、リスナーも自分自身の物語に引き寄せながら聴いているようにもみえた。それゆえ1曲終えるごとに湧き上がる拍手にもさまざまな表情があったように思う。
ところで、与世山澄子さんは沖縄の米軍統治時代、1950年代半ばにジャズ歌手として米軍基地内で本格デビューを飾っている。沖縄の日本復帰後は、自ら経営する那覇のジャズスポット「インタリュード ※1」で、連日、県内外のファンを魅了している。よく彼女のライフヒストリーが、百年を余るジャズの歴史と戦後沖縄の歩みを錯綜させながら語られるのも、彼女の歌手としてのキャリアが、沖縄ジャズの歴史の一脈をなすものでもあるからである。
ライブ後半の《レフト・アローン》を聴いたとき、開演前の交わした会話をふと思い出した。世界的ピアニストのマル=ウォルドロンや、沖縄のジャズメンの話をうかがっていたのである。この数年のうちに多くの音楽仲間が他界したことに話が及ぶと、彼女は宙を見ながら「みんな天国に行っちゃった」と言葉をこぼした。《レフト・アローン》をはじめ、歌の数々が鎮魂歌にも聴こえた所以である。
また、宮良長包作曲の《えんどうの花》を与世山さんがうたうと、ジャズの味わいがあり、新鮮な感動を得た。そのとき与世山澄子と宮良長包をつなぐ一本の糸が見えてきた。というのは、彼女は宮良長包の妹である仲本正子の孫にあたるからである。ちなみに仲本は、八重山で初めてレコーディングに臨んだことより、「チコーンキアッパ」(蓄音機おばさん)と呼ばれた人物である。
全編にわたって、緩急自在なピアノが豊かな歌声を引き立て、与世山澄子の世界(ワンダフル・ワールド!)を実現させていた。与世山さんの深遠かつ力強い歌声と香村さんの心憎い伴奏に酔いしれたひとときであった。
石垣島でのライブを終え、与世山さんは6月中、東京、大阪、名古屋のほか、九州の3ヵ所をめぐるライブツアーに出かけた。全国ツアーの冒頭を石垣島で飾れたことは、「与世山澄子ジャズライブ実行委員会」としても嬉しいことである。今回は与世山さんの生まれ島・八重山からの大きなエールとなることを願ったライブでもあった。
インタリュード
(1F カフェ:13時頃~18時頃)
(2F ライブバー:20時頃~25時頃)
那覇市安里48
TEL:098-866-6773 火曜定休
Blog http://ameblo.jp/interlude-naha/