石原親子による尖閣購入の演出

今年は〈日本復帰〉40周年とかで、様々なイベントが企画されているらしい。
 節目ごとに祭祀を行うのは民俗の世界であるが、何をいまさら〈復帰式典〉かというのが実感である。
 1945年の敗戦から、197
2年のヤマト併合まで、地域のボスたちは、米軍の手先となり甘い汁を吸いながら「民主党に非ずんば人に非ず」と沖縄の民主化を求める人たちをアカ(共産主義者)呼ばわりし米軍へ密告、弾圧に加担して来た。
 これらの利益や権利を失うまいと1972年以降はヤマトの自民党権力に媚を売り、身をすり寄せて来たのが現在の保守勢力である。
 人権より経済を、民主化より、非民主化を推進する側に身を寄せた者たちのDNAは現在も脈々と流れ、自衛隊配備、尖閣問題、教科書問題のなかで、恥も外聞も節操?も無く八重山を危険に陥れている。
 北朝鮮の衛星発射騒ぎが収まらぬなか、今度は石原慎太郎東京都知事が訪米中、個人所有となっている尖閣諸島を東京都が購入すると発言した。
 発言は唐突に思えたが、用意周到に計画されていた。石垣市議会がただちに、国が購入する事を決議。中山市長にも打診されていたことが明白となった。
 中山市長は石垣市との共同購入を持ちかけたが、11月に断られたという。
 石原知事の長男で自民党幹事長の石原伸晃は昨年12月13日「ハドソン研究所で講演し、尖閣諸島を速やかに公的所有し港を整備し、自衛隊の常駐も検討すべし」(孫崎亨ツイート)と発言したと言う。
 石原親子による尖閣購入の演出の実態が明白となった。ハドソン研究所は米国保守派のシンクタンクであり、1961年に設立されたという。
 孫崎は「日中間の緊張拡大を望む米国軍事筋の支援をうけておこなったものと推定」と述べている。当然であろう。
 石原は尖閣諸島に自衛隊の常駐も検討すべしなどと意気込んで述べているが、軽佻浮薄のこの人間、八重山や沖縄の人間のことなど眼中にないのであろう。
 軍事的緊張の波をもろに被るのは八重山である。かって、北方領土周辺でのソ連の警備隊によって、日本の漁船が銃撃されたり、拿捕されたりしたような一触即発の軍事的緊張が東シナ海に起きるのである。
 与那国の漁業への影響は図り知れず、尖閣マグロどころの話ではない。
 一衣帯水の海は危険のどんぞこに八重山を陥れようとしているのである。
 尖閣列島への自衛隊配備となると、軍事的にも国内的にもましてや対外的にも政治不安を引き起こしかねないだけに中国軍も黙認するわけにはいかないはずだ。
 軍事的緊張感は一気に高まり、戦争勃発になりかねない。
 そうなると、八重山はどうなるか。戦争(紛争)地域となり真っ先に攻撃の対象となる。
 北朝鮮の衛星発射をミサイル発射といって石垣島などに配備されたPAC3騒動の際、なぜ国民保護計画は実施されなかったのか。
 敵の攻撃を受け、国民の生命財産が危険にされされる時発動されるはずではないか。PAC3は80パーセントの命中率だというが、後の20パーセントは危険に晒されるということだ。人間に例えれば20人は死の危険性が高いということである。
 沖縄県の国民保護計画では危険に晒されたら、与那国、竹富町の人々は石垣島に集結し、九州へ疎開とうたっていたはずだ。家屋に入っておれば安全などといったから騒ぎは住民保護など眼中にない。ティンカラ、ムヌヌウテーキンチョッ、ヤーヌナカカイペーリ(天から物が落ちて来るので家の中に入りましょう)こんなことは子供でもわかるのだ。
 尖閣をめぐって日中が軍事的に対立し、戦争に突入した場合、真っ先に攻撃対象となるのが、軍隊や空港、港湾施設である。戦禍の中八重山の民に疎開など出来るはずがない。座して死をまつしかないのだ。
 住民の生命財産を考えるべき首長や議員たちがヤマトの石原や右派の手先となり軽佻浮薄の振る舞いはやがて、八重山をヤマトの捨石とする戦前の道を辿るしかない。
 まっぴらごめんである。

大田 静男

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