ミシェル・ペトルチアーニのライブに酔う

ミシェル・ペトルチアーニのライブに酔う

ジャズピアノの伝統に自己のスタイルを確立し「小さな巨人」といわれたミシェル・ペトルチアーニのトリオライブが、ホテルミヤヒラで開かれ、詰めかけたジャズファンを魅了したのは、一九八五年(昭和六〇)八月五日のことだった。当時はまだ石垣市民会館がなく、ホテルでの開催となった。
 ライブを企画したのは、市内でジャズ喫茶を営むバードランドが、一九七七(同五二)年か七八年(同五三)に初めてのライブを開いて、第十一回目のコンサートとして提供したものだった。
 会場は約三六〇人の聴衆で埋め尽くされ、即興的なジャズの醍醐味を満喫した。サイドメンにはベースのパレ・ダニエルソン、ドラムスのエリオット・ジグマンドが脇を固め、四ビートの堅実なリズムを刻んだ。
 ペトルチアーニは一九六二年十二月、生まれのフランス出身のジャズ・ピアニスト。独自性の強いスタイルは、ビル・エバンスらの影響を受けており、また一部ではキース・ジャレットとも比較される。
 彼は遺伝的要因から骨形成不全症という難病を背負っていた。そのため身長は成長期になっても一mほどしか伸びず骨はもろく、しばしば肺疾患に苦しんだ。一九八二年にはアメリカに渡った。アメリカではチャールズ・ロイドにバンドに参加するなど、積極的な演奏に取り組み、一九八〇年代~一九九〇年代を代表するジャズ・ピアニストの一人となった。
 フランス人としては一九八五年、最初に名門ジャズレーベルのブルーノート・レコードと専属契約を締結したピアニストとして知られる。そして、一九九四年にはレジョン・ドヌール勲章を授与された。
 石垣市に来た時は弱冠二十三歳。身長は低いが、コンサートではピアノを前にした時に指の動きが神業的な動きをみせ、フランス最高のジャズ・ピアニストを発揮した。演奏曲目は十曲余にわたり披露され、縦横無尽な即興演奏が次々と繰り広げられた。彼の叙情的豊かな音色が空間を駆けめぐると、大きな拍手で沸き上がった。
 演奏は、ジャズのスタンダードナンバーの「朝日のごとくさわやかに」や「酒とバラの日々」「チェロキー」のほか、オリジナル曲を披露した。トリオは、お互いに音で牽制するところに魅力があるといわれる。聴衆はこのインタープレーに終始、感動した。
 だが、一九九九年一月、ニューヨークで肺感染症に冒され、死亡した。享年三十六歳だった。ペトルチアーニが石垣市の土を踏み、多くジャズファンを魅了したことは、永遠に歴史に刻まれるだろう。なお、ジャズファンに人気だったジャズ喫茶を営んだバードランドは数年前に店をたたんでいる。残念でならない。

竹富町役場 通事 孝作

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