世界はやいまを中心に回るよ、喝!(2)

私の田舎では、サクラがほころぶ季節…。人口42名、9世帯(当時)の「熊本県菊池市大字原木護」という小さな村育ちの私です。一番近い5km先の出身小学校は複式学級、今ではその小学校も中学校も廃校です。その村では桜の咲く4月上旬に「先祖祭」という恒例行事がありました。墓がある人もない人も村の墓地に集まって宴会をするのです。八重山の十六日祭とイメージが似ています。子どもたちはお墓の間を縫って鬼ごっこ、大人たちは顔を真っ赤にして酔っ払う…。九州の田舎の行事なのか、その村独自のものなのかは定かではありません。
 菊池は西日本最大の畜産王国で、山の幸も米も肉も牛乳も、なにもかも絶品に美味しい場所です。そして、昔から食品の加工が盛んに行われていた地域でもあります。木護から車で10分、最寄の小さな村「立門(たてかど)」は大分県の日田に抜ける国道が通っていましたが、ここには豆腐屋、こんにゃく屋、ゆず胡椒の名人おばちゃん…、菊池渓谷の水で育ったイワナやヤマメが食べられるお店と何でも揃っていました。JAがいち早く道の駅を設置した場所でもあり、季節の山菜や地域の人が生産した新鮮な野菜や米などが並んでいました。もちろん加工品も多々あり、味噌からゆず胡椒まで地域で生産された産品ばかりです。峠を越えてすぐお隣大分県も当時「一村一品運動」と名づけ、特産品生産に力を入れておりました。地産地消は当たり前、今話題の六次産業だって当時から実施されているものでした。実家も乳製品製造業+お茶+シイタケの生産直売でしたので、ごく自然の流れで今に至るのです。
 そんな地域で育った私ですから、西表島に引っ越して驚きを隠せませんでした。乳牛もいない、牛はいるけど肉は食べられない、果物は青果販売で加工はしていない、島なのに魚はなかなか売っていない…。挙げたらキリがないくらいです。今では島唯一の養鶏業もなくなりました。
 地元の青年農業者(当時40代)と友達になり、たまに牛の手伝いをする間に「農家の娘」の宿命だと感じ、農業+加工業の計画を立て始めました。苦難の4年が過ぎた2006年春、末娘が臨月のお腹にいるときに実家から乳牛2頭と器材が届きました。2年後には小さな加工場も完成し、乳製品や島の果実を活かした加工品を作ってきました。色々形を変えて今では、いかに長距離輸送に耐えられるか(常温流通)をテーマに日々研究しています。島に観光客が来る間は青果や冷蔵ものでも良かったのですが、今ではピーク期の7割以下の観光客になってしまいました。いかに持って帰っていただけるか、が重要ポイントになるのです。
 昨年沖縄県の産業応援ファンドに採択され、牛肉の商品化に着手したのもそういった狙いがあります。「新たな特産品」は手軽に持ち帰れるものでないといけないと考えたのです。
 昨年はレトルトシチューと万能調味料の2種類の研究とテスト販売ができました。今年は製品の軽量化を求めて、真骨頂「ビーフジャーキー」にチャレンジしたいと考えています。一人ではできませんから、先進的な島の力を借ります。その島は竹富町と同じ人口規模でありながら、八重山全部まとめても敵わないほど先進的な事例を作っている島でもあります…。

西表 崎枝 百合香

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