息子との旅 vol.12

釣り竿を固定した息子はシャドーボクシングに熱中していたが、それにもあきたのかぼくの傍に腰をおろした。細筆で描いたような月はほとんど発光せず港は街灯のみがともり、息子の表情は見えなかった。
「お父さんはアメリカに占領されていて理不尽だと感じたことはなかった?」。
 ぼくと同じようにコンクリの地べたにあお向けになり息子が尋ねる。「そりゃくさるほど感じたさ」。胸の中で呟いたが口には出さなかった。一言でさらりと言える質問でもない。どうやらさっきのスーパーでショックを受けたようだった。
「昨日、西表島の高那で昼食をとりそこねたレストランがあったよな」。
 息子の頷く気配が伝わる。ぼくはベトナム戦争の激化でその場所でアメリカ軍の大がかりな軍事演習が行われた事実を語った。我が物顔で畑を蹴散らし道をつくり宿舎を建てる。一週間足らずで野原だった所に電灯のともる村が出現した。ぼくたちはまだランプ生活であったから暇を見つけては見物に行き、金曜の夜に映画が上映されることを知った。広場にスクリーンを張っただけの映画であったから誰でも観ることができた。初めは遠まきに観ていたが何度か行くうちに近づいても叱られないことを覚えた。
 何度目かの時、ぼくは信じられない光景を目にしたのだった。スクリーンに向かって中央に陣取っているのは階級が上の兵士だと思っていたが、実はその場所は白人専用であり、黒人や有色人種はそこに立ち入れない、ということが理解できた。しかし、煙草を吸っていた白人がかたわらの黒人を呼んだとき、ぼくは我が目を疑った。白人が吸い終えた煙草を黒人の掌でもみ消したのである。掌を灰皿代わりにされた黒人は慣れているのだろう眉一つ動かさなかった。
「黒人は痛くないのか?」。息子が途中から口をはさんだ。「痛いに決まってるだろう。人間だぞ!」。ぼくは叱りつけた。だが、あのタイガーウッズも入れないゴルフ場がアメリカにはあるというのは口にしなかった。

小浜 清志・こはまきよし

一九五〇年黒島出身の父・廉勝、波照間出身の母・富子との間に由布島に生まれる。由布小学校、大原中学、八重高を卒業し上京。さまざまな職業を転々とし、一九八八年「風の河」で第66回文学界新人賞受賞。「消える島」、「後生橋」が芥川賞候補となる。著書・集英社「火の闇」。銀華文学賞選考委員。

小浜 清志

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