石垣島の手踊りエイサー(その1)

石垣島の手踊りエイサー(その1)
石垣島の手踊りエイサー(その1)

10月30日(日)のお昼過ぎ。地図では石垣島北部の東側。伊野田集会所。面目な表現に満ち溢れた踊りでした。女手踊りの長四つ竹も、太鼓以外の打楽器として抜群の存在感でした。
 不思議なのがヒシャク、いや、正確には柄杓状の物です。男手踊りのミンサー帯の背中にシュッと斜めに差してあるのですが、お酒と関係があるのかないのか、何かの寿ぎの意味なのか、僕には全くわかりません。謎です。僕が唯一分かったのは、それがオリオンビールの空き缶と細い棒で作られている、という事だけでした。
 もう一つ。古典的なエイサーなのにニンブチャー(念仏者)や旧盆の匂いが、僕個人にはあまり感じられませんでした。どちらかというと新潟県は女谷(おなだに)で五百年前から伝わる『綾子舞(風流踊り・国指定重要無形民俗文化財の第1号)』の様な品の良さを感じました。
 しかし、観ている間に疑問が次々と湧いてきます。内地と沖縄のやり方が混ざった様な太鼓は、いったい誰が考案したのでしょうか。
 そして、あのオジィ2人が大汗かいて1本ずつ掲げているノボリの様な旗頭。その片方の頂に載っている可愛いパイナップルは、いつ頃から飾られたのでしょう。
 飯田さん、僕また、伊野田まで出掛けなきゃいけませんね。次回は、エイサーの曲目や周りの風景についても書きたいと思います。
(伊野田集落・沖縄本島の大宜味村田嘉里と宮古島出身の開拓移民団が入植し、開墾した村。野底岳も近い)。
 伊野田集落・開拓移民60周年記念式典でエイサーの御披露目があるけど、と飯田泰彦さんからお誘いを受け、いそいそと見学しに来たのです。
 伊野田の手踊りエイサーは、大宜味村の田嘉里地区で戦前から脈々と伝承されてきた『田嘉里エイサー』の伝統を受け継ぐ、貴重な踊りなんだそうです。まず最初に、僕が感じた特徴を挙げてみると…
(1)男女ペアの手踊りエイサー。
(2)地謡は三味線と太鼓が務める。
(3)昭和58年から宮古民謡のクイチャーがエイサーの中で踊られている。
などなど、各地で流行っている太鼓エイサーや、僕が知っている伝統的な(平敷屋、園田、千原)エイサーとは全く違う姿が、そこにはありました。
 さあなんと、予定より7分も早くに、エイサーの始まりです。太鼓担当のオジィは、踊り手が描く反時計周りの円陣の真ん中に1人。大太鼓と締太鼓セットの前に仁王立ちです。三味線の方々は、87歳のオジィを筆頭に円陣の外で背筋をピンと伸ばし、踊り手を真っ直ぐに見つめています。
 男手踊りは紫色のマンサージをふわりと締め、黄色く縁取られた水色のウッチャキを羽織り、ミンサー帯にひしゃくの様な物を差した粋な立ち姿です。かたや、紺絣の着物にハチマキとタスキを赤で揃え、帯に長四つ竹を忍ばせた女手踊り。大きな輪を作った男女は隣同士ペアを組んでいます。向き合って小さな輪を描きながら両腕を翼の如く広げたり、糸を繰る様な仕草で片方が立てば座り、座れば立ちあがる…まるで、仲の良い丹頂鶴のつがいが踊っているかの様でした。
 この振り付けは、首里の芝居役者として名を馳せた玉城金三(1878~1957)から、伝授されたと伝えられているそうです。人を惹きつける素朴さと、真面目な表現に満ち溢れた踊りでした。女手踊りの長四つ竹も、太鼓以外の打楽器として抜群の存在感でした。
 不思議なのがヒシャク、いや、正確には柄杓状の物です。男手踊りのミンサー帯の背中にシュッと斜めに差してあるのですが、お酒と関係があるのかないのか、何かの寿ぎの意味なのか、僕には全くわかりません。謎です。僕が唯一分かったのは、それがオリオンビールの空き缶と細い棒で作られている、という事だけでした。
 もう一つ。古典的なエイサーなのにニンブチャー(念仏者)や旧盆の匂いが、僕個人にはあまり感じられませんでした。どちらかというと新潟県は女谷(おなだに)で五百年前から伝わる『綾子舞(風流踊り・国指定重要無形民俗文化財の第1号)』の様な品の良さを感じました。
 しかし、観ている間に疑問が次々と湧いてきます。内地と沖縄のやり方が混ざった様な太鼓は、いったい誰が考案したのでしょうか。
 そして、あのオジィ2人が大汗かいて1本ずつ掲げているノボリの様な旗頭。その片方の頂に載っている可愛いパイナップルは、いつ頃から飾られたのでしょう。
 飯田さん、僕また、伊野田まで出掛けなきゃいけませんね。次回は、エイサーの曲目や周りの風景についても書きたいと思います。
(伊野田集落・沖縄本島の大宜味村田嘉里と宮古島出身の開拓移民団が入植し、開墾した村。野底岳も近い)

花岡 亨

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